*立花宗茂[第26歩・晴]

昨日は久しぶりによく飲んだため書けませんでした。


立花山(たちばなやま、福岡県新宮町、367m)という山がある。
この山は九州百名山の中で一番低い山であるが、眺望が良く
登山道も良く整備されているため福岡市民に愛され親しまれている。
ミントも子供の頃から何回も登った。
今回はこの山に関連した人物について一言。


この山にかつて城があり、立花山城(たちばなやまじょう)と呼ばれた。
天正14年(1586年)には立花宗茂(たちばなむねしげ)がこの城に篭り
実父高橋紹運(たかはししょううん)の岩屋城を落とした島津軍と戦った。


この立花宗茂柳川藩藩祖である。
文武両道の名将と言われた。


14歳の時に請われて立花道雪(たちばなどうせつ)の養子となった。
豊臣秀吉に取り立てられ九州征伐の功で筑後柳川13万2000石を与えられる。
その後文禄・慶長の役でも大いに活躍し
加藤清正から「日本軍第一の勇将」と絶賛された。


関が原では西軍に属し敗れたため、改易され牢人になってしまった。
その後は一時期困窮したが
徳川家康秀忠にその武勇、清廉な人柄を愛されていたようで
紆余曲折を経て
元和6年(1620年)再び柳川藩主として返り咲くこととなった。
このような例は他にない。
さかんに外様大名などの改易・取り潰しが行なわれていた江戸時代初期では
非常に珍しいことである。
晩年はほとんど江戸に定住し秀忠家光に重用されたという。


このように波乱の人生であった。


福岡といえば黒田如水・長政父子が有名であるが
この人物(立花宗茂)を知れば知るほど非常に面白い。



左から白岳、松尾岳、立花山、三日月山