*母里太兵衛[第43歩・晴]

九州は亜熱帯気候になってしまうのでしょうか?


今回はある人物の事を書きます。
<一部HPやブログを参照させていただきました>


母里太兵衛(ぼりたへえ、もりたへえ、1556〜1615?)黒田如水、長政に仕えた勇将で
「黒田二十四騎」のなかの「黒田八虎」の一人に数えられた。
筑前鷹取城(ちくぜんたかとりじょう)1万8000石を拝領。
合戦で生涯に挙げた首級数は76で藩内最高という。
性格は豪放で大の酒好きであった。


文禄・慶長の役の時期らしい。
太兵衛は主君の長政から福島正則(ふくしままさのり)のもとに使いに行くよう云われた。
戦勝祝いだったかも知れない。


長政は
この二人が顔を合わせると必ず酒席になるに違いない
太兵衛は使いの役目を十分に果たせないかもしれぬ

と考え
酒を飲まないよう厳命した。


太兵衛が行くと
すでに飲んでいた正則は案の定(あんのじょう)太兵衛に酒を勧めた。
太兵衛は断る。
飲め、飲めない、のやりとりは
次第にエスカレートしてゆく。
いつの時代も酔っぱらいは人に飲ませたがるものです。


正則
「そなたがこの大杯を見事に飲み干したら何でも望みのものをとらせよう」
太兵衛
「ありがたいお言葉ですが、主命でございますので」
正則
「有名な母里でさえ酒に後ろをみせるとは、さても黒田家は腰抜け侍ばかりだ」
太兵衛カチンときた。
「それほど云われるならばお受けいたします。ただしお約束をお忘れなく」


そう云って直径一尺ある大杯に酒を注いでもらい
立て続けに3杯飲み干してしまった。
太兵衛
「お約束通り名槍・日本号(めいそう・ひのもとごう)を頂戴いたす」
そういって槍を持ち
馬に乗ってゆうゆうと帰って行った。


秀吉からの大事な拝領品だった日本号
正則、後悔したが後の祭りである。


この話史実らしい。
ちなみに日本号福岡市博物館に実物が展示されている。
柄が螺鈿細工(らでんざいく)のとても立派なものだ。


太兵衛は豪快な黒田武士よと称えられ
現在の「黒田節(くろだぶし)」に謡われている。