*中国のドルゴン[第60歩・晴]

遠くの山にも出かけたいけれど
難しいですねえ・・
今回は退屈でしょうが中国のドルゴンについて。


中国の人物で岳飛(がくひ)の他に
書き残した人物があります。
ドルゴン(1612〜1650)です。
彼は清朝300年の基礎を築いた第2の建国者です。
清朝創始者は太祖ヌルハチ
第2代目は太宗ホンタイジ
第3代目は順治帝(じゅんちてい、フーリン)です。
ドルゴンはホンタイジの弟ですが、第3代目に摂政として仕え
親王(えいしんのう)、摂政王(せっしょうおう)と呼ばれ
さまざまな業績を残しました。


彼の業績として
1.北京に無血入城をした。
2.明と清の支配機構を融合させ清朝による中国統治の基礎を築いた。
この2つが挙げられる。


1と2は、日本で言えば
西郷隆盛大久保利通を合わせたような人物である。


弁髪を強要したが、反面刑罰をゆるやかにした。
明朝のたがが緩んでいると見ると、積極的に領土を広げた。


このように非常に有能であったドルゴンであるが
ミントは彼のことを
帝位を簒奪(さんだつ)しなかった点で中国の歴史上、特異な人物と思っている。


実権を持っていた彼は、皇帝になることも容易だったはずである。
なぜ皇帝にならなかったのか?
これは謎である。
中国の過去の歴史では
彼の立場の人間は必ず皇帝になっていた。

子供がいなかったせいもあるだろう。
子供がいると外戚の力が強くなる。無理に擁立されたかもしれない。
ミントは
ドルゴンが純粋に清朝のために幼い順治帝を援け努力したと思いたい。


彼は若くして事故で死ぬ。
岳飛と同じ38歳である。


ドルゴンはホンタイジの妻(順治帝の母)と結婚したため
順治帝にうとまれ、死後に業績を剥奪されたが
乾隆帝(けんりゅうてい)の時に名誉が回復される。


彼は傲岸な権力者のイメージもあるが
こういう人物が中国にもいたのだと思うと
中国の歴史の懐の深さを感じる。
ミントはこういう人物が好きなのです。


蛤岩から