*ミントの人物伝その26−1[第215歩・曇]

先週末は雨模様。
じっとして本を読んでました。
昨日は、雨が多いだけでなく竜巻注意報が出てました。
でも竜巻って、逃げようがないですよね。


ミントの人物伝(その26−1)   


竹中重治(たけなかしげはる、1544-1579)
戦国・安土桃山時代の武将。
羽柴秀吉の参謀。通称「竹中半兵衛」。


美濃国岐阜県)大御堂城城主、竹中重元の子として生まれる。
長じて
美濃国国主である斎藤義龍(よしたつ)と、その子龍興(たつおき)に仕える。
太閤記』などの書物によると「その容貌、婦人の如し」と記録にある。
やせていて病弱な体質だったのだろう。


尾張織田信長は美濃に何度も攻撃をしてきた。
稲葉山城主の斎藤龍興は若年で凡庸だったが
永禄4年、6年の2度にわたる攻撃は、重治の采配により退けられたという。


主君の龍興は、酒色にふけり政治を顧みなくなった。
また一部の側近を寵臣として
重治や西美濃三人衆らの優秀な家臣を遠ざけるようになった。
そこで重治は荒療治を行なうことにした。
何とわずか16名の配下で稲葉山城を奪い取ってしまったのだ。
1564年(永禄7年)2月のことである。


重治は容貌が婦人のようだったため、龍興や家臣団に侮られていたという。
龍興の寵臣である斎藤飛騨守には、櫓(やぐら)の上から嘲笑された上
小便を顔にかけられたことがあった。
数日後のこと。
重治は稲葉山城に詰めていた弟の重矩の看病のためと称して
武器を隠した行李を運び入れた。
そして重矩の部屋で武器をとり、宿直にいた斎藤飛騨守を殺して
斎藤龍興を追い出してしまったのだ。
実にあざやかな手際の良さといえよう。


信長はこのことを知って、重治に城を明け渡すように要求したが
重治はこれを拒絶した。
重治は信長が嫌いだったようだ。
結局、同年8月には自ら城を龍興に返しているが
このまま従来通りの家臣というわけにはいかない。
城を出て、旧領地の岩手で隠棲した。


思うに、重治は龍興に反省をしてもらいたかったが、
具申しても聞き入れられるはずはないので、城を奪取するという非常手段をとったのである。
もっとも重治自身がそのまま城主におさまるのは無理な話だし
やがては城を龍興に戻すつもりだったのだろう。


この事件は、竹中重治の名を近隣に知らしめることとなった。


1567年(永禄10年)信長は斎藤氏を滅ぼしたあと、重治を家臣に招へいした。
使いにあたったのは木下秀吉。のちの豊臣秀吉である。
秀吉は三顧の礼をもって重治を説得したという。
秀吉自身もまた、重治の才能を高く評価していたのだ。


「信長殿に仕えるつもりはありません」
「信長様は当代随一の英傑です。ぜひあなたをお迎えしたいのです」
「わかりました。わたしは信長殿に仕えるつもりはありませんが
 あなたの部下ということなら、お仕えしましょう」       


重治もまた人を見る目があったということだろう。
<続く>


***最近読んだ本***


「英傑の日本史 新撰組・幕末編」(井沢元彦
新撰組の主要メンバー幕末の四賢候維新の三傑の他、
勤皇志士や幕府の実力者、外国人などの人物伝。
著者の解説が明快である。
図書館で借りた本だが、欲しくなったので改めて購入しようと思う。


「銭屋五兵衛と冒険者たち」(童門冬二
実在の幕末の豪商、銭屋五兵衛とその後継者、大野弁吉らを主人公にして
激動の幕末を生き抜いた男達の生涯を描く。
かなりのフィクションがあると思うが、今年今まで読んだ本の中で一番面白かった。