*ミントの人物伝その34[第254歩・曇]

She sells sea shells by the sea shore (彼女は海岸で貝殻を売った)
という英語の早口言葉があります。
これは彼女をモデルにしているそうです。


ミントの人物伝(その34)
メアリー・アニング(1799-1847)
イギリスの化石採集者。


メアリーはイギリス南部ドーセット州の
ライム・リージス村で生まれた。
ここは美しい海岸のあるイギリスの避寒地であるが
その海岸ではアンモナイトなどの化石が採れた。
メアリーの父親は、化石を掘り出しては
ここにやって来る観光客にみやげ物として売り
生活の糧にしていた。
ところが1810年に父親が亡くなると、収入が途絶え
家が貧乏になったので、メアリーは学校にも行けなくなった。
メアリーは兄のジョセフと共に化石を採集し、生計を支えることになる。
化石屋(かせきや)と呼ばれる職業である。


化石収集は18世紀末からブームになっており、地質学・生物学の理解に
必要なものとして、注目を浴びつつあった。


1811年、メアリー12歳のときだった。
嵐が過ぎ去ったある日のこと。
ライム・リージスの海岸で、2mほどもある大きな骨の化石を見つけた。
「ワニの頭骨かしら。でもひどく大きいわ」
掘り出すにつれ不思議なことが分かった。
頭部はワニに似ているのに、胴体は魚のようなのだ。
一体これは何だろう、ということになった。


王立協会の学者にみてもらったところ
中生代に生きていた魚竜らしい、ということが分かった。
イクチオサウルスの化石の発見である。


イクチオサウルスは、それまでに一部が発見されてはいたが
彼女が発見したのは、保存状態の良い全身化石であり、これは重要な発見だった。
彼女は続けて2体の別のイクチオサウルスの化石を発見している。


−化石の値打ちを知らなければ、学者との取引も出来ない−
そう痛感したメアリーは、考古学や古生物学を勉強して、知識を増やしてゆく。
知識が増えるとともに、化石への関心がさらに深まっていった。


メアリーは暑い夏の日も、全身を覆った服装で、右手にハンマーを持ち
ライム・リージスの海岸で、ひたすらに化石を掘り続けた。
岩を砕きながら掘り出すので、重労働だったと思う。
この当時でも「女化石屋」は珍しかった。
結婚もせず化石を掘り続ける彼女は、町の人々に変人扱いされたらしい。


1821年、プレシオサウルスの骨格化石を発見する。

これは中生代ジュラ紀の首長竜。
1828年には、新種の魚の化石や翼竜ディモルフォドンの化石を発見する。


このように次々と貴重な発見をしたメアリーは
女化石屋として、学者達の中で有名になってゆく。


ところが大きな化石の発掘や運搬には、人手も要るし費用もかかる。
彼女は、30歳を過ぎた頃、ついに資金が無くなってしまった。
そこでイギリス学術振興協会は、彼女に年金の支給を決めた。
資金面での援助を受けて、メアリーはあらためて化石採掘に集中出来るようになった。


メアリーの採掘した化石は、保存状態の良いものが多かった。
また彼女は、化石に手を加えたりといった小細工を決してしなかったので
学者達に信頼されていたという。


ライム・リージスは化石の宝庫だったが
メアリーが発見したのは魚竜、首長竜、翼竜である。
これらは陸生は虫類である「恐竜」ではないが
彼女の発見は、太古の昔に「種の絶滅」があったことの証明や、
恐竜学の発展へとつながってゆく。


1847年、メアリー死去。47歳。
死の直前にロンドン地質学会の名誉会員に選ばれている。


12歳の少女時代、イクチオサウルスの化石を発見しなければ
メアリーは違った人生を歩んでいたかもしれない。
化石採集に捧げた一生だった。


(参考文献)
 Wikipedia
「女化石屋 メアリー・アニング」(矢島道子さん論文)
 画像はWikipediaから借用いたしました。



***最近読んだ本***


「武神の階(きざはし)」(津本陽
上杉謙信の生涯を描いた作品。
上杉謙信は、自分の領土欲ではなく、義のために闘い続けた珍しい武将だ。
どうも死因は、大酒が原因の卒中らしい。
飲み過ぎに気をつけましょう。