*ミントの人物伝その36[第259歩・曇]

この人が亡くなってからもう40年近く経ちました。
早いものです。


ミントの人物伝(その36)


大場政夫(おおばまさお、1949−1973)
プロボクサー。
第25代WBAフライ級王者。


1973年1月25日、首都高速道路5号線で死亡事故が起こった。
シボレーコルベットが速度を出しすぎ
中央分離帯を乗り越え、対向車のトラックと正面衝突したのだ。
運転していたのは大場政夫、23歳。即死だった。
彼は現役のWBA世界王者だった。


大場は東京都墨田区に生まれた。
父親はギャンブル好きで、家は非常に貧乏だった。
ボクシング好きでもある父親の影響で
大場は世界王者になることを人生の目標とするようになる。


−俺は王者になって、両親に家を建ててやるんだ−


1965年6月に帝拳ジムに入門する。
猛練習が始まる。
彼はとにかく走って足腰を鍛えたという。


1966年11月7日、17歳。
プロデビュー戦で渡辺和喜に1回KO勝ち。
以降順調に伸びてゆく。
1968年9月2日、初めての10回戦に臨んだ。
このとき後の世界王者である花形進(横浜協栄ジム)と戦い敗れている。
花形は3歳年上だったが、この対戦以降、親友となった。


入門当初は160cm、48kmで体格が貧弱だったが
この頃には168cm・リーチ170cmとフライ級としては大柄な身体となっていた。
パンチ力・敏捷性・持久力に優れ、負けん気が強い彼は
まさにボクサーになるために生まれたような男だった。


1969年12月14日、ノンタイトル戦ではあったが、世界王者のバーナベ・ビラカンポに勝利。
世界上位進出をはたす。     


1970年10月22日、ベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)に13回KOで勝利。
WBA世界フライ級王座を獲得する。
ついに永年の夢がかない、両親に家を買ってやることもできた。


しかしボクシングは、王者になったときから防衛が始まるのが宿命だ。
王座を防衛し続けることは、獲得よりある意味難しい。


1971年4月1日に、ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)の挑戦を受け15回判定勝ち。
初防衛を果たす。
1971年10月23日、フェルナンド・カバネラ(フィリピン)にも15回判定勝ち。
2度目の防衛。
1972年3月4日、親友の花形進との4年ぶりの再戦。
事前の舌戦も話題になったが、やはり15回判定で勝利。
新人時代の借りを返したのである。3度目の防衛。


1972年6月に、オーランド・アモレスパナマ)の挑戦を受ける。
彼はのちに世界王者となる選手を2人も倒しているハードパンチャーで
最強の挑戦者といわれ、「パナマの黒ヒョウ」という異名を持っていた。
戦歴は28勝(19KO)1敗。


一方の大場は3回連続防衛をしているものの、いずれもKO勝ちはなく
苦戦が予想された。


「倒すか倒されるか。それだけだ」


不安を打ち消すように練習を重ねる大場。
フライ級としては大柄の彼は、この頃は減量が苦しくなってきていて
試合前に何とか計量パスするという綱渡りの連続だったらしい。


6月20日、試合が始まる。
1回、アモレスの左フックをくって大場は尻餅をつく。
しかもバッティングにより額から出血。いきなり苦戦を強いられる。
だが大場は冷静だった。
2回、大場のストレートがアモレスのアゴをとらえダウンを奪い、形勢を
立て直す。
5回、疲れの見えたアモレスを一気に攻めてKO勝ちをおさめる。
危ない勝利だった。4度目の防衛に成功。


1973年1月2日、チャチャイ・チオノイ(タイ)と対戦。
この選手ものちに同級王者となる強敵だ。
1回、チオノイの右フックを受けて大場はダウン。
しかもこのとき右足首を捻挫してしまう。
絶体絶命のピンチとなったが、足をひきずりながらも打ち合いに応じる大場。
中盤から終盤に形勢を逆転。
ついに12回、チオノイからダウンを奪い、そのままKO勝利をおさめる。
5度目の防衛に成功。
試合後の大場は松葉杖を使わないと歩けなかった。


4・5度目の防衛戦は奇跡的な逆転勝利だった。
この2試合で、大場の人気は最高に達した。


1973年1月25日、さすがに消耗が激しかった防衛戦が済み、大場は休暇をとっていたが
その間の交通事故だった。
事故の原因は速度超過だが、もしかするとアモレスやチオノイとの激闘で、
パンチドランカーなどの身体異常症状があったのかもしれない。
王者のままで事故死したため
大場は「永遠のチャンプ」と呼ばれるようになる。


強い選手だった。
ただ年齢とともに苦しくなる減量を避けるため
帝拳ジムではバンタム級への転向も検討されていたらしい。
事故がなければバンタム級でも王座を獲得し、2階級制覇を果たしたかもしれない。
クラスは異なるが、ジュニアフライ級世界王座を13回防衛した
具志堅用高と較べても、強さは引けをとらないと思う。


プロ通算成績は、38戦35勝(16KO)2敗1分。


彼の鮮烈な印象は今もボクシングファンの心に残っている。


(参考文献)
Wikipedia
写真はWebから借用いたしました。



***最近読んだ本***


「クラッシュ・ゲーム」(北上秋彦)
損保の女性損害調査員が主人公という変わった設定。
自動車保険金詐欺事件を調べるうちに、重大事件に巻きこまれてゆく。
この作者、もと生損保の代理店だったらしい。
面白かった。