*ミントの人物伝その38−1[第272歩・雨]

「昔りっぱな軍人がいたってさ」
「軍人は嫌いだよ」
「軍人でもりっぱな人はいるってば」
「へー、どこのどいつだい?」



ミントの人物伝(その38−1)


エルヴィン・ロンメル(1891-1944)
ドイツの軍人。]
陸軍元帥。


ドイツ領ヴェルテンベルク王国ハイデンハイムの
中流階級の家に生まれる。


幼年時代は病気がちでおとなしかったらしいが
10歳を過ぎてからは、勉学・スポーツともにめざましく伸びたらしい。
エンジニアになりたかったようだが、父親のすすめもあって
1910年、ドイツ帝国陸軍の軍人となる。


1914年、第一次世界大戦勃発。
ベルギー、ルーマニア、イタリア戦線に動員され、その活躍によりプール・ル・メリット勲章を受ける。


プール・ル・メリット勲章(英語名、ブルー・マックス勲章)


なおこの間に、ルーツィエ・マリア・モーリンと結婚している。
たまの休みには、二人でオートバイのツーリングをしたりする
仲の良い夫婦だった。


1918年、ドイツが敗れ、第一次世界大戦終結したが
ロンメルはワイマール共和国陸軍将校として軍に残ることになった。


1928年、長男のマンフレートが生まれる。
1929年にはドレスデン兵学校の教官になる。
先の戦争中は勲章を受けはしたが、失敗もしたし反省点も数多くあった。
その経験を踏まえてのロンメルの講義は、非常に人気があったという。


1929年10月24日、アメリカ株式市場で株価が大暴落。
これにより世界恐慌となる。


1933年のドイツの失業者は480万人に達していた。
この年アドルフ・ヒトラーが首相になりナチスが政権をにぎる。
彼はアウトバーンを作るなどの公共投資を積極的に行なった。
いわばドイツ版ニューディール政策である。
この政策が功を奏し、景気は回復して、失業者は50万人にまで減少する。
景気が良くなったことも、ヒトラーが国民に圧倒的な支持を受けた一因だ。


この年、ロンメルは少佐に昇進。
その後も順調に中佐、大佐と昇進してゆく。


1937年に、ロンメルは戦術に関する本『歩兵攻撃ISBN』を出版している。
教官としての彼の講義内容をまとめたもので
非常な評判を呼び、50万部を越えるベストセラーとなった。
ヒトラーもこの本に注目し、読んで激賞したという。
こうしたこともあって、ロンメルヒトラーのお気に入りの将校となっていった。


1938年にはヒトラーの護衛部隊隊長になる。
この頃はロンメル自身も、熱心なヒトラー信奉者となっていた。
ただナチスの人種差別政策には反対だった。
子供のマンフレートが、ロンメルの前でナチスの「ドイツ人優性論」を得意げに述べたとき
ロンメルは激怒し
「二度とそのようなばかげたことを私の前で話すな!」
と。怒鳴りあげたという。
ロンメルは勧誘されても、ナチス党員には結局ならなかった。


1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻し、ついに第二次世界大戦が始まる。


ロンメルは少将に昇進し、「総統大本営管理部長」になる。
これはいわばヒトラーの警備隊だからロンメルには物足りなかった。


−私には知識と経験がある。
自分の戦術がどれだけ通用するか、実戦でためしてみたいものだ−


ロンメルは、対フランス戦において装甲師団の指揮をとりたい、と希望する。
装甲師団とは戦車部隊のこと。
ロンメルはもともと歩兵隊の将校だったが、機関銃にも立ち向かえる戦車部隊が
陸戦の中心になりつつあったので、あえて希望したのだろう。


1940年2月、ついに第7装甲師団に任命される。
いよいよ実戦だ、とロンメルは奮い立った。


(続く)


(参考文献)
Wikipedia
写真はWikipediaから借用いたしました。