*ミントの人物伝その46−1[第321歩]

今回の人物はあまりにも業績が多いので、何回になるか不明です。
ゆっくり書き進んで行きますので宜しく。


ミントの人物伝(その46−1)

トーマス・エジソン(1847-1931)
発明家。


1847年、アメリカ合衆国オハイオ州に生まれる。
父親はサミュエル、木材を取り扱う仕事だった。


1854年、トーマスは猩紅(しょうこう)熱にかかり
耳の聞こえが悪くなってしまう。


1855年トーマスは学校に行くが、好奇心が強すぎたことや
耳が不自由だったことなどで、すぐに学校でトラブルを引き起こしてしまった。
やがて彼は学校の先生に『知恵遅れ』とまで言われたので
怒った母親のナンシーが、息子を学校から引き取った。
結局この3ヶ月が、トーマスにとって人生ただ一度の学校教育となった。


ナンシーはトーマスに哲学や科学の本を与えた。
トーマスは数学には関心が持てなかったが
ニュートンの本『プリンキピア』を読んで、科学的理論を尊重することを学んだ。
また彼が特に関心があったのは化学や物理で
近所の店から薬品や空きびんをもらっては、実験に夢中になったという。


1859年、トーマスは12歳になった。
「僕はもう一人前だ。自分で仕事をやるよ」そう言って列車の中で新聞を売る仕事に就いた。


耳が不自由だった彼には
列車の乗客が、騒音に負けまいと大声を出すので
話を聞き分けることが出来て、仕事がしやすかったのだ。


やがて彼は列車の中で、新聞だけでなく
キャンデーや季節の野菜なども売るようになる。
また空の車両に印刷所を作って、乗客のための新聞を発行したりもした。


けっこう儲かった。
その金で多くの科学の本を買ったという。
トーマスは後年、列車で働いたこのときが一番幸せな時期だった、と述べている。


マウント・クレメント駅でのこと。
トーマスは列車にひかれそうになる幼い子供を助けた。
その子供は電信技士の息子だった。


電信技士は言った。
「お礼をしたい。何が良い?」
トーマスは答えた。
「電信機の使い方を教えてください」


電信機は電報を打つ機械であり
この頃は駅馬車に替わって、通信手段の主力となりつつあった。
この技師から学んだことが
トーマスの電信技士としての出発点となったのである。


(続く)


(参考文献)
「世界を変えた科学者エディソン」スティーブ・パーカー<岩波書店
 写真はWikipediaから借用しました。


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230