*ミントの人物伝その46−4[第327歩]

トーマスが生まれた頃の照明といえばローソクランプでした。
この『暗い夜の時代』が、トーマスによって大きく変えられてゆきます。


ミントの人物伝(その46−4)


1870年代になり、一部の建物でアーク灯がともるようになる。
しかし高価なのに耐久時間が短い、明るすぎて見づらい、
など性能は十分なものではなかった。


トーマスは考えた。
−安全で目に優しい、そして安価な電灯を作ろう−


1878年、トーマスは周りに
「アーク灯に替わる新しい電球を6週間で作り上げてみせる」
と宣言して取り組んだ。


トーマスは、真空ポンプを発明して、電球内を真空にすることに成功する。
酸素の存在はフィラメントを激しく酸化させ、すぐに断線させてしまうので
電球内は真空にして、酸素を排除しないといけないのだ。


ただ何と言っても電球の命はフィラメント
これが、電球本来の明るさや寿命を決定すると言ってよい。
当初『白金』を使用してみたが、これは過熱しすぎる難点があった。
高温になったフィラメントは、短時間で燃え尽きてしまう。
長時間明るい光を出すには、融点の高い材料が必要なのだ。
トーマスたちは次々に様々な材料を試してみた。


金属では無理だとあきらめ、特別に作った『炭化した木綿糸』を使用してみた。
するとこれは連続40時間輝き続けた。
1879年10月、白熱電球の誕生である。


その後、『竹の繊維』が、フィラメントの材料としてより適していることを発見する。
この使用により、ついに電球は連続1200時間、輝くようになった。
ちなみにこの竹だが、日本産が良いとされた。
現在の京都府八幡市男山の竹が使用されている。


さて、電灯があっても、連続して使用するためには電力の安定供給が必要だ。
電球の発明のあとのトーマスの関心は
発電機の改良や、電力供給システムの整備に向ってゆく。


彼はニューヨークのマンハッタン・パール街で、世界最初の発電所を建設する。
そして、パール発電所から記念すべき初送電が行なわれたのは
1882年9月4日、午後3時のことだった。
以降、マンハッタンの夜は暗闇ではなくなり、人々の生活は大きく変化することになる。
トーマスが『明るい夜の時代』の幕を開けた、と言ってよいだろう。


トーマスは電信・電話・蓄音器・映画など多方面にわたる発明をしているが
『電球の発明を含めて、発電から送電までの電力の事業化に成功したこと』が
彼の最も大きな功績である。


さて、時が流れて1929年のこと。
トーマスと自動車王、ヘンリー・フォードは永年の友人だった。
フォードは電灯発明の50年を記念して、歴史博物館を設立したが
その中で『メンロパーク研究所』が復元された。
訪れた82歳のトーマスは、笑いながらこう感想を述べたという。


「99.5%は完璧に再現している。
だが私は、研究所の中をこんなにも綺麗にはしていなかった。
それが0.5%の間違いだよ」


1931年10月21日。
トーマス・エジソンの葬儀の日、午後10時から1分間の消灯がなされた。
アメリカ全土が暗闇に包まれた。
それは偉大な発明家である彼への弔意を表したものだった。


(完)


(参考文献)
「世界を変えた科学者エディソン」スティーブ・パーカー<岩波書店
 Wikipedia
 写真はWebから借用しました。



[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230