*ミントの人物伝その48[第337歩]

現在朝鮮のことを欧米ではコリアといいますが
それは『高麗(コリヨ)』からきているそうです。


ミントの人物伝(その48)


ワンゴン(王建、877-943)
高麗王朝の太祖。


877年、ワンゴンは松岳(開城)の豪族の子として生まれた。
親は中国との貿易で財を成した実力者だった。


9世紀後半、朝鮮半島では新羅王朝の時代だったが
凶作なのに税の取立てが厳しかったので
不満を高めた農民たちが各地で暴動をおこすようになった。


農民暴動はやがて、いくつかの豪族や将軍の勢力にまとまってゆく。
特に有力だったのはクンイエキョンフォンの勢力だった。


クンイエは不幸な生い立ちで、親に捨てられ寺で育ったが
農民反乱が勃発すると、すぐにこれに参加した。
ヤンギル将軍のもとで頭角をあらわした彼は、やがてヤンギルを倒し首領となる。
クンイエは勢力を拡大し、ついに松岳を根拠地にして新たな国を建てる。
高句麗の建国だ。


一方のキョンフォンは現在の忠清道全羅道支配下におさめ
完山(全州)を都として後百済を建国する。


朝鮮半島はこうして新羅、後高句麗後百済の三国に分裂した。
この状況は古代朝鮮の新羅高句麗百済と対比され『後三国時代と呼ばれる。


[:]


さて後高句麗の国王となったクンイエだが
ぜいたくをいさめる部下を殺したりして次第に暴虐になっていった。
ついに部下たちは反乱を起こす。
クンイエは追放された上、殺されてしまう。


新しい王として推されたのが、優れた軍人であり信望のあったワンゴンだ。
このとき彼は、松岳を離れて西南海域の水軍を統率し活躍していた。


「このわたしに王になれというのか」
ワンゴンにとって意外なことだった。
だが現在の状況では、優れた指導者がいなければ
やがて後百済に圧倒されてゆくだろう。
そうなれば人々が苦しむのは火を見るより明らかだった。
彼は決心した。


918年、ワンゴンは王位に就く。
このような形での即位は宋の太祖、趙匡胤を思わせる。
国名は「正当な高句麗の後継国」の意味を込めて、高麗と定められた。
趙匡胤http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20110602


927年、新羅景哀王は慶州郊外で宴を開いていたが
突然に後百済の軍に襲われて殺されてしまう。
後百済キョンフォンは、かねてより新羅攻撃の機会を狙っていたのだ。
キョンフォンはそのあと王族の一人を立てて王とした。
新羅最後の王、敬順王である。


敬順王はもはや、後百済に対抗する気力も武力もなくしてしまった。
部下達と話し合った末、ワンゴンに王位を譲る決心をする。
新羅王を後百済の傀儡(かいらい)にしようとしたキョンフォンは
結果的に大きく目算が狂ったことになる。


935年、敬順王はワンゴンに帰順する。
新羅は約580年の歴史を閉じることになった。


ところが間もなく後百済でも内紛が起こる。
キョンフォンの息子が父親を追放し、王位に就いてしまったのだ。
こうなるとキョンフォンは結局、ワンゴンに頼らざるをえない。
キョンフォンを受け入れたワンゴンは後百済に戦いをいどむ。
一善郡一利川の戦いで大いに後百済を破る。


936年、ついに後百済が滅亡、朝鮮半島が統一された。
ときにワンゴン59歳。


ワンゴンは帰順した敬順王、キョンフォンともに手厚く遇している。
彼が王位に就けたのは運の良さもあるが、このような信義に厚い性格が
部下たちに支持されたといえるかもしれない。


建国当初は各地に豪族が勢力を持っていたが
ワンゴンはそれらと婚姻などによって協力関係を結ぶ。
そののち次第に中央集権を推し進めて、強力な体制を作り上げていった。
また遼に滅ぼされた渤海の移民を受け入れたり
植民に尽力するなど、国内の復興と発展に努めた。
ワンゴンは歴史上の評価が高く、名君の一人とされている。


晩年、ワンゴンは『訓要十条』を制定する。
内容は後の国王が必ず守るべき戒めだった。


ワンゴンは66歳で死ぬが、彼が王朝の基礎をしっかりと固めたことにより
1392年に滅亡するまで、高麗は500年近くにわたって存続することになるのである。


(参考文献)
「中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史」岡百合子
 Wikipedia
 写真はWikipedia、Webから借用しました。



[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230



***最近読んだ本***


「中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史」(岡百合子)
実は朝鮮・韓国の歴史についてよく知らないので
勉強のつもりで読んでみた。
近・現代史の部分は、一方的に日本のことが悪く書かれすぎている
と感じたが、後三国時代李氏朝鮮建国の部分は面白かった。
それが今回、ワンゴンを人物伝で採りあげた理由だ。