*ミントの人物伝その50[第345歩]

この人が第5代将軍になっていたら、あの悪法は世に出なかったでしょう。


ミントの人物伝(その50)


徳川家宣(とくがわいえのぶ、1662-1712)
江戸幕府第6代将軍。


1662年(寛文2年)に、甲府家、徳川綱重の長男として江戸で生まれる。幼名は虎松。
綱重は前将軍家光の次男であり、現将軍家綱の弟である。
従って虎松は家光の孫になる。


虎松は、父綱重が正室を迎える前の子供だったため、世間をはばかり
すぐに家臣の新見正信に養子として預けられる。名は新見左近。
生母は左近が2歳のときに早世した。


彼の出生のいきさつは保科正之(ほしなまさゆき)を思わせる。
2人に共通しているのは、ともに人情の機微がわかる名君になったことだ。
きっと若いうちの苦労が人間を育てたのだろう。
保科正之 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20110728


左近は9歳になった。
幸運なことに綱重に他の男子の子供が出来なかったため
改めて世嗣として迎えられることとなった。
左近は元服をして綱豊(つなとよ)と名乗るようになる。


甲府家での学問の師は新井白石(あらいはくせき)
そしてお付きの従者は間部詮房(まなべあきふさ)だった。
綱豊は、白石から勉学の大切さを学び
詮房から武術や信義をつくすことの大切さを教わった。


1678年(延宝6年)には綱重が死去し、ついに綱豊が17歳で家督を継ぐことになる。
この頃になると、綱豊は仁慈あふれる勉学好きな青年に育っていた。


1680年(延宝8年)将軍の家綱が死亡。
この時、綱豊は次期将軍の有力候補となる。
しかし、結局、家綱の弟である綱吉が選ばれてしまう。
第5代将軍、徳川綱吉である。
綱豊から見ると叔父にあたる人物だ。


綱吉は学問好きではあったが、問題のある人物だった。
側用人柳沢吉保(やなぎさわよしやす)を重用し、華美な生活を始めたので
次第に幕府の財政が悪化していった。
綱吉はまた、跡継ぎの男子に恵まれなかったが
動物愛護の心が足りないためだ、と母の桂昌院らに言われて
ついに1685年(貞享2年)、『生類憐れみの令』を発布するのである。


これは大悪法だった。
綱吉は干支が戌(いぬ)だったので特に犬が大事にされた。

犬をいじめることはもちろん、追い払ってもダメ。
役人に見つかれば厳罰が待っていた。
牢には囚人が増えた。
うっかり蚊を叩いたために遠島になった者もいたという。


生き物は全てが対象だったので、漁民や猟師は仕事が出来なくなった。
また中野・四谷・大久保などに設置された犬小屋には捨て犬が集められ
非常に数が増えていった。
一説には江戸に10万匹の犬がいたという。
そして、庶民は苦しい生活をしているにもかかわらず
犬たちにはきちんと食事が与えられた。
この犬小屋の維持費だけでも幕府は大変な支出を余儀なくされたのである。  


綱豊は白石に言った。
「のう白石。人よりも犬を大事になさる上様のお考えは間違っていると思う。
どう思うか」

白石が答える。
「その通りでございます。ですがいつまでもこのまま続くことはありますまい」
このとき白石は思った。
−殿はしっかりとした考えをお持ちだ。もし将軍になれば
きっと良い政治をなさるだろう−


1695年(元禄8年)から翌年にかけて東北地方を中心に大飢饉が起こった。
1703年(元禄16年)には、小田原で大地震が起こる。
このような天変地異は、現治世に対する天の怒りの声と受け取られた。


ついに跡継ぎに恵まれなかった綱吉は観念した。
考え方の異なる綱豊とは仲が悪くなっていたが、やむを得ない。
1704年(宝永元年)綱豊に将軍職を譲る決定がなされた。
綱豊は徳川家宣と改名し江戸城西の丸に入る。
このとき次期将軍に取り入ろうとする者たちの贈り物を
彼は一切受け取らなかったという。


1709年(宝永6年)、綱吉の死後、家宣は第6代将軍となる。
ときに家宣48歳。


「困っている人びとを助けるためじゃ。何をはばかることがあろうか」
綱吉は、自分の死後も『生類憐れみの令』を続けよ、と遺命していたが
家宣はこれに背き、すぐに『生類憐れみの令』を廃止する。
日本中で喜びの声があがった。
そして柳沢吉保を罷免する一方、白石や詮房、荻原重秀(おぎわらしげひで)らを用いて
政治改革を進めてゆく。
彼と次代将軍、家継の政治は『正徳の治』と呼ばれ称えられた。


家宣は名君と言ってよい。
ところが彼が将軍だったのはわずか3年間だった。
健康を害し、1712年(正徳2年)に死去してしまったのだ。
家宣は幼い家継のことを白石らに託し、永眠した。
享年51歳。


ミントはこの人物が徳川将軍の中で一番好きだ。
もう少し将軍をさせてあげたかったと思う。
またもしも、綱吉ではなく彼が第5代将軍になっていたら
当然、生類憐れみの令はなかっただろう。
日本にとっても不幸なことだった。


のちの話だが
家康、秀忠、家光と続く徳川宗家出身の将軍は、第7代の家継をもって途絶えてしまう。
第8代将軍は紀州出身の徳川吉宗だ。
以降、紀州出身の将軍が続くことになるのである。


(参考文献)
 Wikipedia
 写真はWikipediaから借用しました。



[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230



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シャングリ・ラ」上・下(池上永一
作者は話題作「テンペスト」を書いた沖縄出身の作家。
テンペスト」はテレビ化されたが、この作品は映像化が難しいと思う。
基本的にテンポの速いSFだが、冒険小説、ホラーファンタジーなどの要素もある。
会話にユーモアがあって面白い。
主人公の國子を筆頭に、強い女性が大勢出てくるが
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作者は、情報工学だけでなく気象学、金融取引についても詳しいようだ。