*鎮山(姫島)[第366歩]


福岡県糸島半島西の姫島には今まで行ったことがありませんでした。
島の散策と共に、山頂の鎮山(ちんやま、186.7m)に登りました。
ミント単独。
<2012年第52回目登山、第67座>


2012年12月1日(土曜日、晴れ時々曇り)、鎮山


位置図

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ルート図(かなり不正確です)


11時45分、岐志(きし)漁港から市営渡船『ひめしま』に乗船する。
姫島までの間、玄海灘は波が荒く、船はけっこう揺れたが
乗っている人たちは慣れているのだろう。
ゆったりと構えていた。


12時03分、姫島に到着。


港を西に横切る。
島に一つだけの売店、シーガルショップでお菓子を買う。
昼食はすでに済ませているのです。


姫島神社の横から登り始める。


石垣が多いのはかつての段々畑の名残らしい。


12時28分、展望台。南側、対岸の山々が良く見えた。


12時36分、山頂。


北方面の眺めが良い。


小・中学校生徒のプレートがあった。
お菓子を食べてしばしの休息。


12時42分、下山開始。


12時56分、ここだろうと思い、分岐から右折する。

少し行くと住宅地に入った。


13時03分、野村望東尼(のむらぼうとうに)旧址。


野村望東尼は、幕末における福岡藩の女人勤皇家。
彼女は高杉晋作ら勤皇の志士を平尾山荘にかくまった罪で、ここ姫島に流罪となった。
1865年(慶応元年)11月15日のことである。
福岡藩は幕末、藩論が勤皇と佐幕の両方に揺れて、結局維新に乗り遅れたといわれる。
このときは佐幕派の勢力が強かったのだ。


四畳半くらいの狭い堂だ。
ここで九州とはいえ寒い冬を過ごしたのだから、その労苦は大変だったろう。
結局、翌年9月16日、高杉晋作に命じられた藤四郎らが彼女を救出している。


そのまま西海岸道路を歩いた。
右手に鎮山を見ながら海岸線を西北に歩く。


しゃれた造りの校舎があった。姫島小学校・志摩中学校姫島分校である。
何人の生徒がいるのだろうか。


舗装路の突き当たり、正面に龍瀬が見えた。
大きな岩場に荒波がたたきつけられていた。

ここで戻ることにする。


港に戻ったが、帰りの船の出港までにはまだ時間があったので、
今度は東海岸道路を舗装路が尽きるまで歩いた。


帰りは14時20分発の『ひめしま』に乗って岐志漁港に戻った。


昨年10月の、御嶽(宗像大島)、遠見山(玄海島)以来の島登山でした。
天気もまずまずで、気持ちよく歩けました。



[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230