*ミントの人物伝その54−3[第372歩]

凌雲は新政府からの士官の誘いを断り続けました。
それには理由があったのです


ミントの人物伝(その54−3)


1869年(明治2年)8月、凌雲は東京に移されたあと徳島藩の預りにされた。
だが罪人扱いされ、待遇は良くなかったようだ。


翌1870年(明治3年)2月にようやく謹慎を解かれたあと、請われて水戸藩に仕えるようになる。
ときの藩主はあの徳川昭武だ。
しかも必要なときだけ藩に来て医療行為をすればよい、という恵まれた条件だった。
かなり自由な立場なので、凌雲は一人の医者として生きてゆくことを決意する。


同年、浅草新片町の借家で開業する。
またこの年、兄嫁の妹である久と結婚。凌雲33歳。


この間にも、凌雲には仕官の話が何度もあったが断り続けている。
彼には気にかけていることがあった。
箱館でともに戦った榎本武揚たちのことだ。
彼らはまだ獄舎にいて厳しい糾明をうけていた。
今後どのような処罰をうけるかまだ分からない状況であり
彼らのことを思うと、自分一人仕官するなどとは考えられなかったのである。


しかしついに
1872年(明治5年)、榎本らは赦免される。
凌雲は胸のつかえが取れたように感じた。


1877年(明治10年西南戦争が勃発する。
このとき佐野常民らが中心になって博愛社が創立される。
佐野は箱館で敵味方なく治療にあたった凌雲のことを知っていたので
ぜひ博愛社に参加して欲しいと要請をした。
だがこれも凌雲は断っている。


ー確かにわたしは箱館戦争で敵味方へだてなく治療をした。
それは日本で最初の赤十字行為ともいわれた。だが本来やりたいことではない。
そもそも戦争などないに越したことはないのだー


佐野常民http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20110715


凌雲は貧しい人からは診療代をもらわなかった。
しかし一般に、施療を受けることのできるのは富める人のみで
貧しい人は診療代が払えないので病院にも来ない。
彼はかねてよりそれが気になっていた。
そこで思い出したのが、パリで見た『神の館』付属の貧民病院のことだった。


ーあの病院を日本で作れないだろうか。
医師たちが力を合わせて貧しい病人を無料で施療する。
そんな病院を作ってみたいー


彼は浅草・下谷両区域の医師会会長をしていたが、この年末の幹事会で提案してみた。
「貧しい人たちを無料で施療する団体を作りましょう」
凌雲はまず、貧民救済の組織作りを考えたのだ。
彼のこの提案は幹事全員の賛成を得ることができた。


こうして同愛社が発足した。
最初のうちは、貧民施療といってもその費用は各医師の持ち出しとなるので
地区を区切ったり、施療する人数を制限したりしていたが
やがて同社の趣旨に賛同する人が増え、活動は次第に軌道に乗ってゆく。
著名人の賛同者も増えて、凌雲はそれらの人々とも親交を深めることになった。


やがて社則が改正される。
これは社員を救療社員と、慈恵社員とに分けるもので
救療社員は貧しい患者の治療に当たる医師をいい
慈恵社員は同愛社に寄付をする篤志家をいう。
このように区分化は、それまで自腹を切っていた医師たちにとっては歓迎すべきことで
寄付金が潤沢に集まれば、医療行為に専念することができたのである。


1886年明治19年)には創設以来の施療者数は一万二千人を超えた。
凌雲はさらに寄付金をつのり貧民施療を進めてゆくために
あえて社長職を地位の高い人に譲ろうと考えた。
彼が考えたのは榎本武揚だった。
榎本はこれを引き受け二代目の社長を務めている。


榎本武揚


凌雲は貧民病院の設立を目指していたが、やがて同愛社の議題にのぼることもなくなった。
同社に所属する医師の数は増加する一方で、東京全体の貧しい者に対する施療活動も
かなり浸透しつつあったのである。


ー貧民病院は作れなかった。
だが『神の館』の神聖な精神は、同愛社の精神だ。
永く引き継がれて欲しいー


時代は明治から大正に移る。
凌雲はこの頃からしだいに体調を崩してゆく。


1916年(大正5年)10月、凌雲死去。享年79歳。


凌雲が『神の館』で学ばなければ同愛社は生まれなかったし
あるいは彼も民間の一医者として終わったかもしれない。


同愛社による社葬の日は朝から雨だったが
傘をさした会葬者が途切れることなく、長い列をつくっていたという。


(参考文献)
Wikipedia
「夜明けの雷鳴」(吉村昭
写真はWebから借用しました。


(最後に)この人物を教えてくれたシゲさんに感謝。


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230



***最近読んだ本***


「夜明けの雷鳴」(吉村昭
今回の内容の大部分はこの本に拠りました。

羆嵐(くまあらし)」(吉村昭
大正時代に実際にあった史上最悪の獣害事件のドキュメンタリー。
羆と書いてヒグマと読む。
くまモンはかわいいけどヒグマは怖いですね。