*ミントの人物伝その57[第390歩]

アメリカにはかつて皇帝がいました。
ろくでもない大統領よりよほど親しみがもてる人物でした。
歴史教科書には載っていませんが。


ミントの人物伝(その57)


ジョシュア・ノートン(1819−1880)

アメリカの皇帝。


1819年、ロンドンでユダヤ人の家庭に生まれる。
成人してアメリカに渡り、ゴールド・ラッシュにわく西海岸で
不動産投資を行い大成功する。


そこまではよかったのだが、穀物相場に手を出して失敗。
1858年には破産して邸宅も売却し、本人は行方不明となった。


この破産が彼の精神に何らかの影響を与えたのは間違いない。
ふたたび人々の前に現れたとき、彼はこう言った。


「今のアメリカの連邦議会制度は著しい不備がある。
絶対君主制度ならばその不備を解消することができる。
だからわしが皇帝となるのだ」


1859年9月、ノートンはサンフランシスコで声明を各新聞社に送り付けた。
「私はここに合衆国皇帝、ノートン一世であることを宣言する」
ほとんど相手にされなかったが、面白いジョークだとしてとり上げた新聞社もあった。


記念すべき合衆国建国以来の皇帝の誕生だったが、連邦議会はこれを無視した。
皇帝陛下は無礼であるとして、アメリカ陸軍の最高司令官にこう命じた。
「議会など不要である。軍隊を出動させ議事堂に進攻して、すみやかに制圧せよ」
だが軍はまったく動かなかった。


1861年南北戦争が勃発。
皇帝陛下は深く憂慮され、事態を収拾しようと
リンカーンと南部諸州の大統領デーヴィスをサンフランシスコに召還した。
だが2人ともこの召還を拒否した。


陛下はくじけない。
リンカーンに世界平和のために、ヴィクトリア女王と結婚するよう勧めた。
すると今度は
ノートン一世の忠告を真剣に検討したい」
ホワイトハウスからこのように回答があったという。


ノートン陛下は多忙だ。
激務が終わった午後は、陛下は2匹の雑種犬、ラザルスとブマーを連れて散歩に出る。
そして市民からの敬意に満ちた挨拶にうなずき返しながら
皆が幸せに生活できるよう心を配るのであった。


ある日、セントラル・パシフィック鉄道の食堂車で食事をしたときのこと。
陛下は代金を支払わずそのまま立ち去ろうとした。


係員に注意された。
「じいさん、無銭飲食はダメだ。金を払いな」


「無礼者、わしを誰と心得おる。
合衆国初代皇帝、ノートン一世であるぞ」

そしてこうのたまった。
「この鉄道会社は営業停止じゃ」


騒ぎを聞いたスタンフォード社長はびっくり仰天し
ノートン陛下に全線乗車無料、食堂車無料のゴールド・パスを発行して
なんとか営業停止処分を許してもらい、ことなきを得た。
皇帝陛下を怒らせてはいけないのだ。


帝国なので税金があり、国民は納税の義務がある。
ただし小売店が週25セント、銀行が週3ドルと安かった。
この税金は畏れ多くも陛下自らが集金された。
ことわっておくが乞食ではないのだ。


またサンフランシスコの音楽堂と劇場には、皇帝専用の貴賓席があり
彼が現れるまで幕を開けることはなかった。
そして皇帝の来臨がアナウンスされると、観客の全員が起立して皇帝を迎えたという。


陛下は本来、温和で平和的だったので人々に慕われていたのだ。


1880年1月8日、ついに皇帝陛下が崩御された。
このときは3万人ものサンフランシスコ市民が葬儀に参列した。
すごい人数である。


『ニューヨーク・タイムス』は追悼記事を掲載した。
「彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。
彼と同じ称号を持つ人物で、この点で彼と比肩しうる者は史上1人もいない」



(参考文献)
「新版歴史毒本」(山本茂)
  Wikipedia
  写真は Wikipedia から借用しました。



[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230



***最近読んだ本***


「新版歴史毒本」(山本茂)
世界歴史の異説、裏話を描いている。
この本は図書館で借りて読んだ。
非常に面白かったので手に入れたいと思い、書店をあたったが
もう絶版になっているとのことだった。