*四王寺山[第464歩]

久しぶりに大野城にある四王寺山(しおうじやま)に3人でで登りました。
かつて四王院が山中にあったのでそう呼ばれている場所です。
最高峰は大城山(おおきやま、410m)で、その他に
岩屋山(いわややま、281m)大原山(おおばるやま、354m)水瓶山(みずかめやま、212m)
があります。
マロンさん、ヨウさん、ミントの3人。
<2014年第2回目登山、第2座>


2014年1月12日(日)、曇り、四王寺山


位置図

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ルート図(マロンさんのブログから借用いたしました)


663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで唐、新羅の連合軍に負けた日本は
九州北部に山城を設置して日本を防衛しようとした。
大野城(おおのじょう)もそのひとつで、この四王寺山にある。


9時39分
太宰府政庁跡より出発。

天気は曇っているが大丈夫だろう。


政庁跡。
ここは7世紀後期から奈良・平安時代を通じて九州の政治の中心だった場所だ。


市民の森を通り抜ける。
桜や梅の林がある。
花見の時期にはにぎわうのかな。


10時08分、岩屋山城への登山口。


10時23分、高橋紹運(たかはししょううん)の墓。
ミントの好きな武将、立花宗茂(たちばなむねしげ)の実父である。


10時32分、岩屋山山頂。
しばし休憩。
だいぶ曇っているが眺めが非常に良い場所。南側中心に300度の展望である。


1586年に大友氏の武将、高橋紹運はここで700名あまりの手勢で
島津軍5万(一説に2万)の兵を迎え打ち、壮絶な戦いののち討ち死にした。


ここから先は迷い猫だった。
実はこの日は迷ってばかりだった。
前回ミントが来たのは3年以上前になるのでよく覚えていないし
標識も分かりづらかったのだ。


11時14分
増長天礎石群。


この先は大野城跡を時計回りに一周する。
土塁跡の登山路となる。
少し周囲より盛り上がっている路を進む。


12時02分、やっとこさ大城山。眺望は無い。


広場でで食事。
先にいた人に野外音楽堂への道を教えてもらう。


12時39分
野外音楽堂。
こんな場所まで聴きに来る人ってどんな人だろう?、と前回は思ったが
やはり閉鎖されていた。


12時48分、百間石垣。


1間は約1.8mだから約180m。
大野城は要するに山城であるから土塁や石垣があるのである。
このあとは北石垣、小石垣方面に進む。、


ここはこの日一番きつい登りだった。


13時05分、北石垣。


13時17分、小石垣。


このあとは松川分岐を経て
13時42分、大原山。
時間が遅れているので写真を撮ってすぐ通過する。


13時59分
焼米ヶ原(やきごめがはら)。
南側の眺望が良い。かすんでいるけど。


14時20分、水瓶山。
ここも南側の眺望が良い。
最澄(さいちょう)伝説のある山だ。


黒岩稲荷神社の横を通って下山。


14時50分
ホテルグランティアの『みかさの湯』で汗を流し
ビールで乾杯をした。


平成22年11月以来の四王寺山でしたが、散策気分で気持ち良く歩きました。
マロンさん、ヨウさん、お疲れ様でした。



[平成25年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20131231


[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230



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