ミントの人物伝その68−2〔第581歩〕


ブータンでは一番有名な日本人です。


ミントの人物伝(その68−2)
ー文章中の敬称は略させていただきますー


シェムガン県は、貧しいブータンのなかでも極貧地域で
中央からは忘れられた土地と言われていた。
険しい山岳地帯であり、水利がなく乾燥しているので水田が造れない。
また、橋や道路も整備されていなかった。 

農業技術援助のレベルの話ではなかった。
水路、橋、道路造成の本格的な開発プロジェクトが必要とされたのだ。


1976年(昭和51年)、国王から依頼を受けた西岡は、家族を日本に帰国させ
プロジェクトの責任者として、10人のスタッフとともにシェムガンに赴任した。

現地に着いた西岡はがく然とした。
ここでは約5万人の村人が飢えていた!

現地で行われていたのは伝統的な「焼畑農業」だった。
森を焼き払い、畑を作って作物を育てる。
土地がやせ収穫量が下がると、新しい土地へ移住してまた森を焼き、
また畑を作るという生活を繰り返していた。
農民たちの作物収穫量は常に不安定だった。


西岡は水田による定地農法を提案する。

「このままでは土地はやせてゆくばかりです。水田を作れば収穫量は安定します。
そして土地に安住できれば、生活は必ず豊かになるのです」

だが村人は彼が提案する新しい農業を拒んだ。

「我々は今まで何百年も焼畑でやってきたのだ。
それを変えて失敗したらどうなる?
そもそもこの土地に水を引き込むことなんて出来るのか?」


西岡は無理に新しい農業のやり方を押し付けることはせず、
800回を越える話し合いの場を設け、根気強く村人の説得を続ける。

やがて彼の説得が功を奏し
少しづつ村人の協力を得ることが出来るようになった。

歯車が回りだした。

国王の信任があるとはいえ大がかりな計画だ。
予算も限られている。
西岡は「身の丈に合った開発」をしようと決心した。

まずは水路の整備が必要だ。
水管には当時ブータンで主流だった塩化ビニール製のパイプや竹を利用することにした。
こうして360本の水路を完成させる。

同時に橋や道路の整備もすすめていった。
壊れていた吊り橋の付け替えでは、コンクリートではなく
耐久性に優れたワイヤーロープを用いた。
ワイヤーロープは安価で、しかも村人が持つ吊り橋を架ける技術も役に立つ。
17本の吊り橋が新しく生まれ変わった。

ーこれでいい、水路や吊り橋の補修は今後、村人自身で行えるだろうー

造った道路も全長300キロメールに達した。

山の斜面に次々と棚田が造られ、水路から水が注がれてゆく。


西岡がシェムガンに赴任して4年が経過した。


耕作地はその間に60haに拡大した。
以前は1.2haしかなかったので、50倍に拡大したことになる。
水田では収穫期に黄金色の稲穂が実った。

学校・診療所もできた。

村人の顔に喜びの色がともった。

忘れられた極貧地域は、
ブータンでも有数の穀倉地帯へと生まれ変わったのである。


シェムガン開発は日本人が行った開発援助の中で、もっとも成功したものの一つとされる。

ーどのような良い計画でも、その土地の住民が意識を変えなければ成功しない。
またその計画は、身の丈に合ったものでなければ根付くはずがない。ー

西岡はそう考え、実行したのだ。
だから見事に成功したといえよう。


村人たちは口々に感謝の言葉を述べた。

「我々は最初、あなたの言うことを信用できなかった。
だが結果は、あなたの言った通りになった。有難う。本当に・・」

西岡がパロに戻るときには、村人は皆、涙で西岡を見送ったという。


パロに戻った西岡は活動を続ける。
いっときも休むことはなかった。

日本から様々な果物や野菜を持ち込み、普及させ、
またブータンの土地に合うよう品種改良を重ねた。
その数は40種類に及ぶ。

また狭い土地に合う農業機械を導入したのも彼である。


1980年(昭和55年)国王から「国の恩人」として、
民間人に贈られる最高の爵位である「ダショー」を授かる。
「最高の人」という意味である。
同国において唯一・史上初の外国人受爵者であった。


その後も西岡は、ブータン農業発展のために働き続けたが
長年の無理があったかもしれない。
健康を崩し、
1992年(平成4年)3月21日、帰国直前に敗血症に罹り、ブータンにて死去する。
満59歳だった。

3月26日、ブータン王室および政府によって西岡京治国葬が執り行われた。
彼を慕う人々が各地から弔問に訪れ、その数は5千人にも及んだ。

遺体は夫人の意向により、パロ盆地が見渡せる丘にある葬儀場に埋葬された。
ラマ教の僧侶の読経が続き、山々にこだまする。
「ダショー・ニシオカ」の、立派で盛大な葬式だった。


現在ブータンでは食料自給率も向上し、市場には新鮮な野菜や果物があふれている。
西岡の功績だ。


ブータンの人たちの、彼に対する敬愛の念は今も変わらない。


(了)


(参考文献)
Wikipedia
「ねずさんのひとりごと」
NPO法人.国際留学生協会HP 他
画像はWikipedia 、Webから借用いたしました。




[平成26年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20141231


[平成25年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20131231


[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230


[人物伝]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20140930


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