ミントの人物伝その75−1〔第683歩〕

男たちは九州統一を夢見ました。そして戦いました。
九州における南北朝動乱の話です。


ミントの人物伝(その75−1)


菊池武光(きくちたけみつ、1319-1373)
南北朝時代の武将。

14世紀の日本は朝廷が南朝北朝とに分かれた特異な時代だった。
1336年(建武3年)、建武の新政が崩壊した後、
後醍醐天皇は各地に自分の皇子を派遣して味方の勢力を築こうと考え、
まだ8歳の懐良(かねよし)親王征西大将軍に任命し
九州に向かわせることにした。
懐良親王は牧宮(まきのみや)、
あるいは征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)とも呼ばれた。

懐良は五条頼元(ごじょうよりもと)らとともに出発。
総勢十名程度のさびしい旅立ちだった。

1339年(延元4年)、伊予国忽那島(くつなじま)に到着。
なお後醍醐天皇は、懐良らが忽那島に着いた年に死去している。

さらに一行は海路、豊後を経て
1342年(興国3年)、薩摩山川津に上陸する。
そして南朝方の谷山城に入城する。
このとき懐良14歳。

懐良は薩摩地方の守護、島津貞久(しまづさだひさ)に戦いをいどむ。
これに勝利できたので声望が高まり、次第に周辺の土豪たちが味方につくようになった。


その頃の九州は、足利幕府によって設置された守護と諸豪族とが割拠していた。
守護に対抗しうる豪族では、肥後の菊池氏と阿蘇氏が強力だった。

懐良としては両者をぜひとも味方につけたいところだが
菊池家中では跡目争いでまとまりがなく、阿蘇は呼びかけに対して腰が重かった。



さて菊池武光である。
彼は肥後益城郡豊田庄(現熊本県熊本市城南町)出身で、
菊池武時(きくちたけとき)
の子だ。
嫡子ではなかったため、最初は豊田十郎武光と名乗っていたが、
若くして武名が高かった。

菊池の惣領は弟の菊池武士(きくちたけひとだったが、
彼は柔弱であり、とても戦乱時代の惣領の器ではなかった。

武光は周りに惣領として期待されていたが沈黙を守っていた。
武士に歯がゆい思いはあったが、家中に争いを起こそうとまでは思わなかった。


1345年(興国6年)2月、
「まことか!」
使者の話に武光は耳を疑った。

一族の本拠である深川城が、隣接する合志幸隆(ごうしゆきたか)に奪われたというのだ。
聞けば兄たちは、兵力が不足していて抵抗もできずにいるという。

武光は伯父である恵良(阿蘇)惟澄と共に合志に戦いを挑み
激戦のすえ、深川城を奪還する。

武光は武士の推挙により、菊池家の第十五代惣領となる。
兄たちにも異存はなかった。
惣領となった武光は、軍制を改め、阿蘇の原野で兵の訓練を行なった。


ー牧宮にお会いしようー

武光は薩摩に向かった。
菊池氏はもともと南朝方だったが、家中が落ち着いた今こそ
惣領として参上できると考えたのである。
彼は征西府の旗の下で菊池の武名を広げられればいい、と考えていた。


「武光。わしには肉親がおらぬ。
そなたを兄とも友とも思う。頼みにしておるぞ」

懐良に手を握られ、暖かい言葉をかけられて、武光は感激した。

ー牧宮と会うまでは菊池のことだけを考えていた。
だが今は違う、この方のために儂は死もいとわぬー

また武光を味方につけたことは、懐良にとっても非常に重要だった。
武光がいなければのちの九州統一はどうなったか分からない。


九州を制圧するには大宰府博多を抑えねばならない。
(当時は現在の「太宰府」ではなく「大宰府」と表記されていた)

武光にすすめられ懐良は北に向かうことを決意。
征西府の旗を掲げ、菊池の本拠地をめざして出発する。

1347年(正平2年)年末、肥後に入りさらに北上し
1348年(正平3年)、懐良は、菊池隈府(わいふ)城に入る。

すると阿蘇氏の惣領阿蘇惟時(あそこれとき)が伺候してきた。
元々、阿蘇氏と菊池氏とはつながりが強い。
阿蘇氏は阿蘇宮司が母体であるが、その広大な所領の年貢徴収を任じられていたのが菊池氏なのだ。
菊池武光が旗幟(きし)を明確にした以上、
阿蘇氏も覚悟を決めた、といったところだろう。

隈府城に征西府を開き、本格的に九州攻略を開始する。
ときに懐良19歳。武光29歳。


この時期、九州には有力な守護が4名いた。
少弐氏、領国は筑前筑後豊前、肥後
大友氏、領国は豊後
島津氏、領国は薩摩、大隅
畠山氏、領国は日向

彼らは互いに反目していたが、北朝方という点では共通している。
また肥前と博多には幕府の九州探題として、一色範氏(いっしきのりうじ)がいた。

懐良と武光はこれらの敵と戦わなければならなかったのである。


(続く)


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