ミントの人物伝その75−4〔第686歩〕

栄光の時代もいつかは終局を迎えます。
いよいよ最終回です。


九州を平定した懐良親王だが、中央への進出を考えなかったわけではない。

1368年(正平23年)2月、東征の軍をおこして長門・周防方面へ進軍を開始した。
だが大内氏により下関付近で進軍を阻まれ、敗北を喫してしまい、
結局大宰府に戻っている。

東征は失敗に終わった。

以後、懐良は大宰府征西府の維持に専念するようになる。


同年、中国では朱元璋洪武帝を建国し
周辺諸国に、その傘下に入るよう使者を送った。

大宰府にやって来た明の使者は、懐良親王を日本の国王をみなして、
彼に国書を送ってしまった。

懐良や九条頼元らはこれを機会に
明との結びつきを強めようと考えた。
結果、懐良のことを日本国王良懐」として明に認めさせることに成功する。

当時の室町幕府将軍は足利義満(あしかがよしみつ)だから幕府も大あわてとなった。

義満は、のちに明から日本国王源道義」と認めてもらうまでの間は、
「良懐」の名義で外交するしかなかったという。

懐良は九州を独立王国にしたいと考えていたのかもしれない。
戦いをするにも国を維持するにも資金は必要だ。
交易による資金調達を考えていた、と考えると面白い。


さて日本全体ではこの時期、南朝側で北朝に対抗しうる武力勢力は、
九州の懐良親王と菊池一族だけになっていた。
南朝の残党からみれば懐良たちは期待の星かもしれないが
幕府としては目障りとしかいいようがない。

これまで幕府は足利義詮(あしかがよしあきら)の代に、
斯波氏経(しばうじつね)渋川義行(しぶかわよしゆき)九州探題に任命していたが
九州制圧はなかなか進まなかった。

1370年(建徳元年)、義満を補佐する管領細川頼之(ほそかわよりゆき)
今川了俊(いまがわりょうしゅん)九州探題に任命して派遣する。
了俊は歌人としても有名だが、元々遠江や山城の守護職だった武将である。


今川了俊(貞世)


了俊は四国の細川氏や周防の大内氏北朝方につけて
翌年に九州に上陸、大宰府に進撃する。

1372年(建徳3年/文中元年)、
了俊軍は8月10日から大宰府に対して総攻撃を開始した。
7万人の大軍である。

菊池武光らはこれを迎え討つ。
両軍入り乱れてかなりの激戦となったが、
了俊軍は大軍であり、菊池軍は守勢となった。

翌11日には大宰府有智山(うちやま)城が落城。

そして12日には、了俊の攻撃に耐えられず、懐良・武光ら征西府軍は大宰府を放棄、
筑後高良山(こうらさん)へと逃れてゆく。

ここに11年に亘って九州に覇を唱えた征西府は事実上崩壊したのである。


大宰府を追われた懐良親王と武光であったが、高良山は要害の地だ。
いかに大軍を擁する了俊とはいえ、容易に攻める事は出来ず
両軍は膠着状態に陥った。

だが、この高良山攻防戦の最中の
1372年(文中元年)11月に武光は急に病を発する。

失われてゆく意識の中で思うのは
これまでの戦いの日々だった。

享年54歳。

一代の英雄の死は懐良や南朝にとって大いなる衝撃だった。


この後のことを簡単に記述しておこう。


懐良はこの後まもなく、兄である後村上天皇の皇子、良成(よしなり)親王
征西大将軍の座を譲ってしまう。
武光の死で覇気を失ってしまったのかもしれない。


1374年(文中3年)、武光のあとを継いだ菊池武政が死去。
征西府は高良山も放棄し菊池に移る。

1377年(天授3年)、
了俊は、菊池武朝(きくちたけとも)阿蘇惟武(あそこれたけ)南朝勢力と
肥前蜷打(になうち)で戦い、これを打ち破る。
南朝の劣勢は決定的となった。

1381年(弘和元年)には、了俊は武朝を本拠地菊池隈府城から追放している。


1383年(弘和3年)3月、懐良親王筑後矢部で病気により死去する。
波乱の生涯ではあったがその死はやすらかだった。

ー武光、よい夢を見させてもらった。礼を言うー

享年は武光と同じく54歳。



1392年(元中9年)、南朝後亀山天皇が、三種の神器北朝後小松天皇に譲り
南北朝合一」が実現する。
くしくも了俊が九州を平定した年であり、懐良親王の死より9年のちのことだった。


(了)


(参考文献、敬称略)
Wikipedia
「九州南北朝戦乱」(天本孝志)
「武王の門」(北方謙三
画像はWikipedia、Web から借用いたしました。



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