ミントの人物伝その75−5(感想)〔第687歩〕

はじめてのことですが、書き終わっての感想です。
くどいかな?


菊池武光像(大刀洗公園)


今回の人物伝の舞台になった九州筑後地方は、私(ミント)にとってもなじみの場所です。
生まれは三井郡北野町(現久留米市北野町)ですし、今でも久留米市小郡市には
多くの親戚がいます。
ところが私は、今まで筑後の歴史にはあまり関心がありませんでした。
だから南北朝の大争乱がかつてこの地であったことも、長い間知りませんでした。
今回、菊池武光について調べることは
自分にとって故郷の歴史をたどることでもあり、興味深いものがありました。

最初は懐良親王を主人公にして書き進めていました。
ところが次第に、菊池武光のほうがより魅力的に思えてきました。
なので途中で変更しましたが
今回の人物伝の冒頭部分にその影響が残ってます。

武光は九州の英雄ですが、全国的にはあまり知名度がないようです。
活躍の場が九州にとどまっていたこと、そして
彼以降の菊池一族が衰亡してしまい、歴史の表舞台から消え去ってしまったこと、が
原因かもしれません。

大保原合戦は激戦でした。
武光と少弐武藤との一騎打ちなどをみると
まだ鎌倉時代の古い戦法がまかり通っていたことが分かります。
また、大将が前線で戦うのも当然のことだったようです。
懐良親王も皇族でありながら、先頭に立って戦場を駆けめぐります。
きっと兵たちも奮い立ったことでしょう。

武光が戦いのあと、太刀を洗う場面がありました。
伝説では「武光が刀を川にひたすと、その川の水が真っ赤になった」そうです。
夢をこわすようですが、こんなことはあり得ません。
戦いが終わったのは夕暮れ時です。
もしそのとき、夕陽が川面(かわも)を真っ赤に照らしたとしたら
それは素晴らしい情景ではないでしょうか。
そう考えて勝手に脚色しています。

短期で終わった建武の新政と異なり、
九州南朝が約11年間存続しえたのはなぜでしょうか?
私は、懐良親王後醍醐天皇の轍を踏んではいけないと、
武光ら武士の力を大きく評価し、その立場を尊重したからであると思ってます。


筑後川の支流、宝満川

宮の陣神社(祀・懐良親王、良成親王


最後にひとこと。
前にもお伝えしましたように、ミントは歴史の専門家ではありません。
文中、不正確な記述や誤りも多いと思いますがご容赦ください。

菊池武光は書いていても楽しかったです。

ではまた。


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