ミントの人物伝その76〔第696歩〕

おことわりしておきますが
今回の内容は書いたミント自身もよく分かりませ−ん。


ミントの人物伝(その76)


エドモンド・ハレ―(1656-1742)。
イギリスの天文学者、地球物理学者、数学者。


ハレーはロンドンの裕福な醸造業者の子供として生まれた。
幼いころから天文学に興味を持つ。
セント・ポール校で学び、
1673年、17歳でオックスフォード大学のクイーンズ・カレッジに入学した。
在学中に太陽系と太陽黒点に関する論文を発表している。


オックスフォード大学を卒業したあと
1676年11月、ハレーは南大西洋セントヘレナ島を訪れる。

南緯16度に位置するセントヘレナ島
のちにナポレオンが流刑される島として有名だ。
ハレ―はここで南半球の星を観測しようと決心したのである。

セントヘレナ島

当時イギリスでは、南天の星については全く知られていなかった。
晴天が少なく湿度の多い気候の中ではあったが、
彼は熱心に恒星の観測・研究を行った。

1678年の11月、イギリスに戻る。
2年ぶりの帰国である。このとき22歳。

翌1679年に、南半球から見える341個の恒星について詳細に記録した
南天恒星カタログ』(Catalogus Stellarum Australium) を発表する。

既存の星図に、南天の恒星を追加したハレーの業績は、高く評価された。
これにより彼はオックスフォード大学の修士号を取得し、
王立協会会員に推薦される。
会員としては異例の若さだった。


ハレーは1682年に結婚し、ロンドンの北に住まいを定めた。
この時期、ハレーはほとんどの時間を月や星座の観測に費やしていたが、
惑星と重力の問題にも関心を持っていた。

彼が関心を寄せていた問題の一つに、ケプラーの法則を証明することがあった。
ケプラーの法則とは、
1619年にヨハネス・ケプラーによって発見された惑星の運動に関する法則である。

ケプラーの法則
第1法則 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。
第2法則 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である。
第3法則 惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する。

ケプラーは「楕円を描く惑星運動」については基本的な法則を明らかにしていない。
理由はわからないがそのように惑星は運動するものだ、と述べていたにすぎないのだ。


ハレーが1684年の夏にケンブリッジ大学を訪問したときのこと。
アイザック・ニュートンにこう質問した。

ニュートンさん、引力が距離の逆二乗に比例するとき、
太陽を周る惑星が描く軌道はどうなると思いますか?」

ケプラーの法則の核心に迫る質問である。

このときニュートンは同大学の教授であり、王立協会の先輩会員でもあった。

アイザック・ニュートン


「それは楕円だね」
ニュートンは即答した。

なんと彼は
自分自身で計算を試みたことがあり、この答えを得ていた
とのこと。

「じゃああなたは法則を証明することが出来たんですね?
ぜひそれを見せてください!」

ハレーに頼まれたニュートン
後日、「回転している物体の運動について」という論文を送付した。

それによると
・(運動方程式)物体の加速度は、それにはたらく力を質量で割ったものに等しい
・(万有引力の法則)惑星や太陽の間に働く力は、両方の質量の積に比例して、
距離の2乗に反比例する

ニュートンが発見したこの二つの法則を
「惑星」と「太陽」にあてはめることにより、ケプラーの法則の証明が
出来るというのである。


論文を読んだハレーは驚いた。
ーすばらしい。この論文はぜひ発表されるべきだ。ー

ハレーはニュートン
この論文も含めての、ニュートンの力学研究の成果を出版することを薦める。


1687年、ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)が出版される。
ハレーの説得がありこの画期的な著作が世に出た、と言っていいだろう。

ちなみにこの本、当初出版を確約していた王立協会が資金難となったため
やむなくハレーが費用を負担して自費出版という形になったらしい。
ニュートンは本の序文でハレーに謝意を述べている。


ハレーはこののち
地磁気観測を行なって初めて地磁気図を作成
・潜水艦のアイデアを発表
・生命保険の基礎になる統計的解析を行なう
などの業績をあげてゆく。


1695年、彼は新たな研究に取り組んでいた。
それは「彗星(すいせい)」の軌道の研究だ。

1682年には長い尾をもつ大彗星が観察されていた。
彗星はそもそも不吉なものとされており、研究者も少なくその軌道は謎だった。
ハレーはそんな彗星に関心を持ったのである。

尊敬するニュートンの方法を用いて、記録に残る24の彗星の軌道を計算してゆくうちに
奇妙なことに気づいた。

ー1531年・1607年に出現した大彗星の記録を研究してみると
1682年の大彗星とまったく同じ楕円軌道を描いているようだ。
こんなことがあるのだろうか?ー

ハレ―は天文学者として天才的なひらめきを持っていた。

ーまてよ、楕円軌道?
太陽を周回する惑星なら、楕円軌道を描くことは
ケプラーニュートンによって証明されている。
もしも彗星が、惑星と同じように公転する天体だとしたら・・ー

1703年11月、ハレーはオックスフォード大学の教授に指名される。
このときすでに彼は、彗星軌道についてひとつの結論に達していた。

1705年、ハレーは『彗星天文学概論』(Synopsis Astronomia Cometicae) を発表する。

ハレーはこの著書の中で、
・彗星は太陽を公転する天体である
・1531年、1607年、1682年に現れた大彗星は同一のものである

と述べて
『次は76年後の1758年に回帰するだろう』と予言した。

後年のこと。
ハレー自身はこの回帰を待つことなく85歳で亡くなったが、予言の通り彗星は発見される。
それは1758年のクリスマスの日だった。
ハレーのことを記念して
この彗星はハレー彗星 (Halley's Comet) と呼ばれることになる。

ハレー彗星


1720年にハレーはグリニッジ天文台の第2代目所長となり
1742年に死ぬまでその職にあった。

名声に包まれた生涯を送ったと言えるだろう。



次回ハレー彗星が地球に接近するのは2061年の夏だそうです。
みんなで観察するとしましょう。


(参考文献)
Wikipedia
サイエンスチャンネル「偉人たちの夢」
画像はWikipedia、Web から借用いたしました。



[平成27年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20151231


[平成26年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20141231


[平成25年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20131231


[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230


[人物伝]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20140930


[YAMAPの記録]
https://yamap.co.jp/mypage/199626



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