ミントの人物伝その79−3〔第737歩〕

マルコーニは豪華ヨット「エレットラ号」を購入して、実験装置を備え付け
イギリスとイタリアを往復しながら研究実験を行ったといいます。
名声を得た彼でしたが、周囲の雑音から逃れたかったのかもしれません。


ミントの人物伝(その79−3)


タイタニック(Titanic)は、20世紀初頭に建造された豪華客船である。
当時の技術の粋をあつめ、沈むことのない不沈船と考えられていたが
処女航海中の1912年4月14日深夜、
北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没した。

2,223人中1,517人が犠牲、生存者は706人という
当時世界最悪の海難事故となった。

タイタニック

氷山と衝突したとき、タイタニック号の電信士が遭難信号を打信した。
はじめはマルコーニ社の 決めたCQD(Come Quick Distress)で、
つぎに国際遭難信号SOS(Save Our Souls)に切り替えた。
タイタニック号が遭難信号にSOSを使用した最初の船舶になった。

運悪くタイタニック号にもっとも近くにいたカリフォルニア号
一人の無線士しか乗船しておらず、夜間は無線を聞いていなかった。
遭難信号を聞きつけて最初に駆けつけたのは、100キロメートルも離れていた
カルパチア号だった。
船が到着する4時間の間に、1,500名以上の人命が失われてしまったのである。

この遭難の際に、救難信号を送信し続けた2人の無線技師
フィリップスとブライドは、マルコーニ無線電信会社の社員だった。
生存者名簿を無線で最初に受信したのもまた同様に、
マルコーニ社の社員サーノフである。
ちなみにマルコーニは事故のときニューヨークにいた。

じつはマルコーニの妻ベアトリス
船会社から招待され、この船に乗船予定だったのだ。
子供が熱を出したため、出発延期せざるを得なかったのである。
幸運だったといえよう。

この事故で無線通信の重要性が広く認知されることになった。

なにせ陸から800キロメートル以上離れた流氷の浮かぶ海での海難だ。
救助が少しでも遅れれば、乗船者全員が死亡していたはず。
それが実際には、無線通信によって多くの船が素早く集まり、
706名を助けることが出来たのである。

以来、普及に時間がかかっていた無線通信機が
多くの船に積まれるようになり、SOSも広く一般に認知されるようになった。

イギリスの郵政公社総裁は
「多くの人がマルコーニ氏と氏の素晴らしい発明に救われた」
と述べた。


1920年以降のマルコーニであるが、イギリスの無線電信網の設立に尽力したり
レーダーの概念を考案したりした。


マルコーニを無線通信の発明者とすることについては
様々な意見があるようだ。
ただ彼が無線通信の普及発展に大きな役割を果たしたことは
間違いない。


1937年7月、グリエルモ・マルコーニ死去。63歳。

このときイギリスおよび英国連邦では
すべての通信が止められ
電信士は全員、2分間の黙とうを行ったという。


(了)
 

(参考文献)
Wikipedia
『父マルコーニ』(デーニャ・マルコーニ)
サイエンスチャンネル・偉人たちの夢
大人の科学Net(学研)
画像は Wikipedia 、Webから借用いたしました。



[平成28年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20161231


[平成27年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20151231


[平成26年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20141231


[平成25年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20131231


[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230


[人物伝]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20140930


[YAMAPの記録]
https://yamap.co.jp/mypage/199626



コメントは、ブログ運営者(ミント)が確認後に公開されますので
よろしくお願いします。