17歳まで自分の名前さえ書けなかった男が
壮大なことを考えつきます。
ミントの人物伝(その81−2)
さて機関車の話に入ろう。
蒸気機関車を発明したのはリチャード・トレビシック。ジョージではない。
1802年にトレビシックが作成した「ペナダレン号」が
世界初の蒸気機関車なのである。
ただ初期の機関車は力も弱く、見世物に使われたりして
到底実用的な物ではなかった。
ジョージが技師になって間もない頃である。
ある日彼は考えた。
ー馬車で石炭を運ぶなんてこれからは時代遅れだ。
蒸気で動く機関車で運べるようになればどんなに便利だろう。
よし、そんな機関車を作ってみようー
1814年、ジョージは苦労のすえ
初めて「石炭輸送のための」蒸気機関車を設計し製作する。
その機関車は「ブリュッヘル号」と名付けられた。
同年7月25日、初走行に成功。
「ブリュッヘル号」は時速6.4kmで坂を上り、30トンの石炭を運ぶことができた。
だがジョージは不満だった。
ーまだまだ遅いし力が足りない、もっと工夫をしなければー
ジョージは何台も機関車を製作し、
次第にそのことが知れわたるようになる。
石炭運送事業者は彼の機関車を見て、馬の代用になると称賛し
ジョージは事業者からの資金援助を受けることができるようになった。
やや生活が楽になったジョージは、ロバートをエジンバラ大学に入学させ
工学と地質学を学ばせることにした。
これは自分の研究を手伝わせるためだったが、
ロバートはジョージの期待に応え、大きく成長してゆくことになる。
1820年、ジョージはヘットン炭鉱からサンダーランドまで
13kmの鉄道建設を任された。
下りの傾斜では重力を使い、上りの傾斜では蒸気機関車の力を使う鉄道であり、
これが世界初の畜力を全く使わない鉄道となった。
ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道S&DR)は、
ビショップオークランド周辺の炭鉱群と
ストックトンのティーズ川(ストックトン=オン=ティーズ)まで結ぶもので、
ダーリントンを経由している。
1821年、この全長約40kmの鉄道建設に関する法案が可決された。
同年、鉄道建設が始まる。
この鉄道では、錬鉄(れんてつ)製線路を採用した。
錬鉄とは炭素の含有量が少ない鉄のことで
鋳鉄よりも長い線路を製造でき、重い機関車を走行させても故障しにくかった。
この鉄道のための蒸気機関車が必要となった。
そのためS&DR社長のエドワード・ピーズとジョージはニューカッスルに
蒸気機関の製造会社ロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニーを共同で創業する。
この会社には、息子のロバートが常務取締役として参加している。
ロバートは優秀な研究者に育っていた。
1825年9月、新たな蒸気機関車が完成。
この機関車は「ロコモーション1号」と名付けられた。
1825年9月27日、S&DRが開通。
ジョージの運転するロコモーション1号が運行し、最高時速は39kmに達した。
初の旅客用車両も連結されており、主な関係者が初走行を楽しんだ。
これが世界初の蒸気機関車を使った鉄道による旅客輸送とされる。
このときジョージは軌間として1,435mmを採用したが
これはそののちイギリスのみならず、全世界の標準軌間となり
「スチーブンソンゲージ」とも呼ばれるようになる。
リバプール・アンド・マンチェスター鉄道(L&MR)は、
リバプール港とマンチェスターを結んで、
石炭などをより高速に輸送できるようにと設立された会社である。
1826年から線路敷設が始まる。
ジョージは線路工事の監督を行った。
泥炭沼の上を線路を通す際には、ジョージは
そこに事実上線路を浮かべるという突飛な方法で対応したという。
ところが完成に近づいた1829年、
突然会社役員から、機関車の性能について疑問が提出された。
いわく、
「馬車鉄道のほうが早いのではないか?」
「重い石炭を運んで故障しないのか?」
議論のすえ、結局
「機関車の性能を確認するための競争」を行うことになった。
そしてL&MRで使用する蒸気機関車は、この競走で選ぶことも決定した。
史上初めての機関車レース、レインヒル・トライアル(Rainhill Trials)である。
レインヒル・トライアルの参加規程は、
「重量6トン未満で、全長97kmの線路を走破できること」だった。
ジョージは、蒸気機関車が輸送手段として公認されるかという点で、
このレースは非常に重要なものになる、と考えた。
ジョージは息子のロバートと全力を傾け、「ロケット号」を製作する。
ときにジョージは48歳、ロバート26歳。
ロバートは1824年から3年、コロンビアで技師として働いていたが、
イギリスに戻ってからは、父を手伝い機関車を製造していた。
ロケット号の詳細な設計の大部分はロバートが行ったとされる。
同機は完成度が高く、
その後に製造された蒸気機関車の基本設計をほぼ確立していた。
最大の技術革新は、フランスのマルク・スガンが発明した煙管ボイラーを採用して
熱交換効率を向上させた点である。
ロケット号は最高時速40kmで、40トンの貨物を牽引することができた。
ジョージとロバートは
ロケット号のテストを繰り返し行なった。
ジョージが速度を測定するとき使用するのは、
かつて坑夫たちから贈られた銀時計だった。
ー負けられない、応援してくれる仲間たちのためにもー
(続く)
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