ミントの人物伝その82〔第778歩〕

この人物はなぜか肖像画がありません。一時は罪人だったからでしょうか。
みなさんも想像してみてください。

ミントの人物伝(その82)

山野辺 義忠(やまのべよしただ)(1588−1664) 
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。
最上氏の一門。水戸藩家老。


戦国時代、最上義光(もがみよしあき)
関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、出羽山形57万石の大大名となる。

出羽国

1588年(天正16年)、義忠はその義光の四男として生まれた。

1600年(慶長5年)、
関ヶ原の戦いの直前に徳川家康の人質として預けられる。
義忠と会った家康は、その聡明さに驚き
「将来恐るべき怪童」と評したという。

翌年、諱(いみな)を光茂とし、出羽山形に帰国する。
そして山野辺氏の名跡を継ぎ、19,300石の城主となる。
この山野辺は本城を支える重要な場所である。
13歳でありながら、すでにその器量は高い評価を受けていたことがわかる。

光茂は期待を裏切らなかった。
彼は城下町の整備と市の開設、交通路の整備や治水灌漑事業を推進し
山野辺を山形の衛星都市として完成させてゆくのである。

光茂は若くして名君と讃えられるようになる。

最上義光

義光亡き後、藩主となった兄の家親
1617年(元和3年)3月に急逝すると、その子、家信が12歳で当主となる。

だが若い家信が、57万石の大封土と大名格の重臣や多数の家臣団を
統治することは無理があり、また力不足だった。

このとき光茂は30歳。
多くの家臣が、彼を後継者として最上家の未来を託そうとした。

後に最上騒動とよばれる内紛の勃発である。

光茂派の中心となったのは、義光の弟である楯岡光直(たておかみつなお)や、
勇将として知られる鮭延秀綱(さけのべひでつな)

一方、光茂擁立に強く反対し
「家親の死は楯岡らによる毒殺である。家信殿こそ正統」と幕府に訴え出たのが、
一族の老臣松根光広(まつねみつひろ)だった。

しかし幕府はこれを事実無根のこととして、光広を九州柳川の立花家に
追放処分とする。
そのうえで重臣たちを呼び出し説得した。
「皆で家信を当主として最上家をもり立てよ」

重臣たちは納得しない。
「松根のような家臣を重用する家信をもり立てていくことはできない」

また光茂自身も、
藩主として山形を発展させてゆくのは自分しかいない、と思っていた。

幕府の態度は硬化し
1622年(元和8年)8月、最上氏は改易となってしまった。
家信には新たに近江の大森で1万石の所領を与えられ、
最上家の存続だけは許される。
だが多くの家臣は禄を失い、流浪することとなった。

山野辺城は廃城となり、光茂は岡山池田家に身柄を預けられる。
岡山には2人の子息を含め16人の近臣が付き従った。
この頃、諱を義忠と変えている。

義忠は35歳から46歳までの12年間を
岡山の地で、幽閉のなかに送ることとなるのである。

ーわしは信念を貫いたつもりだったが
結果的に家臣たちに苦しい思いをさせてしまった。
もっとほかによい方法はなかっただろうかー


1633年(寛永10年)9月のことである。

義忠は三代将軍徳川家光じきじきの命令により赦免され、
常陸水戸藩徳川頼房のもとに派遣されることになった。
客分家老として1万石で仕えることとなったのである。

「わしが水戸藩の家老じゃと?」
義忠は非常に驚き喜んだ。

これは義忠の英邁さを伝え聞いた家光が、徳川一門のために
その才能を活かしたいと考えたのだった。


水戸に赴いた義忠だったが、最上騒動の経験から
藩政には大きく関わらないように、発言や態度には気を付けていた。

頼房も義忠のそうした気持ちが分かったのだろうか。

やがて頼房は義忠に、三男千代松の教育役を命じる。
この千代松こそ
のちの水戸光圀(みとみつくに、黄門)である。

非行少年と心配された千代松は、青年時代から急速に変貌をとげ、
仁義の大道を歩むようになるが
そのかげには義忠の指導教育があったと思われる。

水戸光圀

1661年(寛文元年)頼房が没すると、光圀が藩主となる。

ー頼房殿、わしの役目は終わりましたぞー

義忠は隠居して仏門に入り、道慶と号した。

1664年(寛文4年)山野辺義忠死去、77歳。
最上義光の子の中で唯一、長寿の人物となった。


子の義堅も光圀に仕え、子孫は代々家老職に就く。
彼らもまた、江戸後期までは主に朝廷や将軍などへの儀礼を行い、
藩政には大きく携わらなかったという。


(参考文献)
Wikipedia
最上義光歴史館 HP 他
画像はWikipedia、Web から借用いたしました。


[平成29年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20171231


[平成28年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20161231


[平成27年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20151231


[平成26年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20141231


[平成25年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20131231


[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230


[人物伝]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20140930


[YAMAPの記録]
https://yamap.co.jp/mypage/199626


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