ミントの人物伝その86−1〔第816歩〕

弓馬だけでなく、
和歌・連歌・蹴鞠・太鼓・鼓・包丁(料理)に長じていたとされる人物です。


ミントの人物伝(その86−1)

細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい)(1534-1610)。
戦国時代末・江戸時代初期にかけての武将、大名。歌人


1534年(天文3年)三淵晴員(みつぶちはるかず)の子として
京都東山に生まれる。幼名を萬吉(まんきち)。

1540年(天文9年)、三淵晴員の実兄である細川元常の養子となる。
細川氏室町幕府管領の家柄であり名族だが、
養父の元常はその支流だった。

1546年(天文15年)、将軍の足利義藤(のちの義輝)偏諱を受け、
細川藤孝を名乗る。
1552年(天文21年)、従五位下・兵部大輔に叙任され
翌年、養父の元常がなくなると藤孝は細川氏の実質的な当主となった。

だが前途多難なのだ。
仕える将軍家は先代足利義晴の頃から兵力が少なく、
細川晴元三好長慶から攻撃されたときは近江坂本に難をのがれる状態だった。

そして現将軍の義輝もまた三好長慶らに圧迫され
近江の朽木谷に出奔した時には、若い藤孝も従わざるをえなかった。

この頃の藤孝の関心事はもっぱら連歌だったらしい。
困窮していた藤孝が、読書のため灯油を神社から盗んでいたという
エピソードが伝えられている。


1565年(永禄8年)の永禄の変で、義輝が三好三人衆松永久秀に討たれてしまう。
たちまち室町幕府は存亡の危機に陥った。

藤孝らは幕府の復興を図った。
それにはまず義輝の後継者の安全を確保することだった。

義輝には二人の弟がいたが、末弟はすでに
松永久秀によって殺されている。

次弟は奈良興福寺一乗院覚慶だったが
彼が久秀により興福寺に幽閉されると、兄の三淵藤英らと協力して
これを救出することに成功。

覚慶は還俗して足利義秋(のちに義昭)と名乗り
越前国朝倉義景らを頼って、一乗谷の安養寺に入った。
なおこの安養寺において牡丹の時期に、藤孝の発句で百韻の連歌会が催されている。

一乗谷で藤孝は明智光秀と知り合う。
彼はそれまで放浪していたが、このときは朝倉家に仕えていた。

ともに教養があり、室町幕府の再興をめざすことで一致する二人は
すぐに意気投合する。

光秀は藤孝に言った。

「幕府の再興を図るには朝倉氏は頼りにならない。
勢いのある尾張織田氏を頼られてはいかがか」

こうして光秀を通じて義昭は織田信長に助力を求めることとなる。

明智光秀

信長はこの話に乗り
1568年(永禄11年)9月、義昭を奉じて入京する。
藤孝もこれに従った。
名族の藤孝は信長に気に入られたようだ。

藤孝は幕府の再興という目的を達成できたと思いほっとしていた。
ところが・・・

1571年(元亀2年)の頃から、義昭と信長の対立が表面化してくる。
信長の野心に気づいた義昭が、彼を排除しようと画策しだしたのである。

ー義昭様を入京させた信長は天下に号令する気概を持っている。
一方、義昭様は信長を排除しようと、彼の敵とさえ結ぼうとしている。
姑息なやり方ではないのか。信長のほうが勢いがあるのはあきらかだ。
だが齢(よわい)四十近くまで仕えてきた将軍家を、
わしは捨てることができるのかー

藤孝は思い悩んだすえに結局、義昭から離れることにした。
これは室町幕府と決別し、その管領家である「細川」を捨てるという
大きな決断でもあった。

なお光秀もかつては義昭の奉公人だったが、今や信長の家来になっている。

1573年(元亀4年)3月、
藤孝は軍勢を率いて上洛した信長を出迎えて、恭順の姿勢を示した。

同年7月、義昭は京から追放される。
ここに室町幕府が滅亡した。


足利義昭が追放されたのち
藤孝は山城国長岡一帯(長岡京市)の知行を許され、
名字を改めて長岡藤孝と名乗った。
幕府の補佐役であった細川の名を、彼は捨てたのだった。

以降は信長の武将として畿内各地を転戦する。

1578年(天正6年)、
信長の薦めによって嫡男忠興と光秀の娘玉(ガラシャとの婚儀がなる。

1580年(天正8年)には光秀の加勢によって丹後南部を平定し、
信長からその領有を認められ、宮津城を居城とした。
後宮津11万石の大名になったのでる。


(続く)


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