ミントの人物伝87②〔第853歩〕

海洋時計(マリンクロノメーター)は、海上において東西の位置、

あるいは経度を確立するために 長きにわたって渇望された装置である。

この発明は革命的なことであり、帆船時代 (Age of Sail) に おける

安全な長距離航海の実現を意味したのである。ーWikipediaよりー

 

*ミントの人物伝87 ②

 

1730年、ジョンは開発資金を援助してもらうために

新しい時計の設計書を携え、ロンドンに出かける。

そしてグリニッジ天文台長であったエドモンド・ハレーに会い

自分の新しい時計のアイデアを伝えた。

 

エドモンド・ハレー

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「なるほど、携帯できる海洋時計か!」

 

ハレーは星の研究こそが経度の測定につながると考えていたが 

ジョンの話には関心を抱いた。そして

自分は時計については専門外だから、と

時計師として有名なジョージ・グラハムを紹介してくれた。

 

ジョージ・グラハムもハレーと同様に、

ジョンとその海洋時計のアイデアを気に入る。

二人は新しい時計について何時間も話し合ったという。

そしてジョンは彼から、資金援助を受けることになったのである。

 

5年が経過した。

1735年、ジョンはより正確に時を刻むH-1を製作する。

Hはハリソンの頭文字だ。

真鍮の骨組みに木材の歯車をつけた「ぜんまい式の海洋時計」である。

 

<H-1>

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H-1は高さが63cm あり、 重量も34㎏と重かったが

翌1736年、センチュリオン号に乗り込みリスボンへ向かい、

オーフォード号で戻る航路でその高精度を証明した。

 

経度法では

西インド諸島までの航海で平均日差2秒以内でなければならない」

と定められていたため、賞金は獲得できなかったが、

経度委員会に改良のための資金援助を願い出て

500ポンドが与えられた。

 

1739年には、気温変化の補正を行う仕組みを入れた、より小型の

時計、H-2を完成させる。

だが39㎏ と、H-1よりも重くなってしまった。

 

<H-2>

H-2:重さ39kg

 

陸上でのテストを経て1741年に航海実験の準備が出来ていたが、

ちょうどオーストリア継承戦争が起きており、

敵国にH-2が奪われることを避けることもあって、

実験は延期になってしまった。

 

しかし経度委員会からは再び開発資金として、500ポンドを得ることが

できた。

その開発資金でさらに、鉄と黄銅を組み合わせたバイメタルの 研究を

進めることができたのである。

 

1757年、より軽量・小型化されたH-3が完成した。

この時計にはローラーベアリングと、バイメタルが採用されている。

サーモスタット(温度調節装置)の基本原理が取り入れられているのだ。

 

<H-3>

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ーもっと小型化できないだろうかー

ジョンはさらに研究に没頭するのだった。

 

(続く)

 

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