ミントの人物伝89③〔第879歩〕

クックの航海により

太平洋の全貌がほぼ明らかになります。

彼は勤勉な記録者であり、彼の航海記録は

自然誌であり民族誌でもありました。 

 

*ミントの人物伝89③

 

第1回航海から帰還後のクックは、ゆっくりと休息をとることも

できなかった。

改めて王立協会から、南方大陸探検隊の指揮を委任されたのである。

 

第1回探検航海によって、

ニュージーランドは南方の大陸とは繋がっていないこと

オーストラリアが大陸であること、も既に明らかにされていたのだが

「南方大陸はさらに南に存在する」と王立協会はまだ信じていたのだ。

 

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こうして1772年7月12日、クックは2回目の探検航海に出帆した。

今回の探検隊は二隻であり

探検隊長のクックが、英国軍艦ゾルーション号を、

ビアス・ファーノウアドベンチャーを指揮した。

 

なおクックはこの航海に、クロノメーター(海洋時計、H-4の複製

使用している。

ジョン・ハリソンが発明したこの機械により経度が判明し、

航海中の現在位置が正確に把握できるはずだった。

 

H-4

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アフリカ大陸南端から東進した一行は、南寄りの航路をたどった。

だが伝説の南方大陸とやらは発見できない。

 

きわめて高緯度の地域を周航し、

1773年1月、ヨーロッパ人として初めて南極圏に突入した。

これは帆船航海としては大変な偉業だった。

クックのリーダーシップとクロノメーターがなければ

不可能だっただろう。

 

南極圏の濃い霧によって一旦はぐれたアドベンチャー号とは

 ニュージーランドでおち合った。

だがファーノウはマオリ族との戦いで部下を失っていたので、

アドベンチャー号は先に帰国することになった。

 

その後クックは南下し、南緯71度10分まで到達した。

 

クックはもう少しで南極大陸を発見するところだった。

彼自身も、探検した海域の南方には大陸があるだろう、と考えた。

だがそれは、

『人が居住できるような場所ではない』

ことも予測していた。

 

補給のため北のタヒチへ進路を取り、オマイというタヒチ人の若者を

伴って再び南へ向かったが、オマイは第1回航海のトゥピアほどは

太平洋の地理に明るくなかった。

ちなみにオマイはこの航海のあと、英国でしばらく暮らすことになる。

 

クックは南太平洋をさらに周回しながら、東回りで帰国することにした。

トンガイースター島ニューカレドニアなどに上陸した後、

ふたたび南下して南緯50度から55度付近の航路をとった。

 

これによってクックは南極大陸北方の海を周航したことになり、

南方大陸がこの緯度までには存在しないことを確定させた

 

クックはそのまま東進し、南アメリカ大陸南端を回り

ジョージア島と南サンドウィッチ諸島を発見したのち

1775年7月29日、英国スピッドヘッドに帰還。

 

クック一行の帰国報告により、南方大陸の伝説は沈静化した。

この航海によって、南太平洋の未確認領域は大幅に狭くなったのだ。 

クロノメーターが活躍し、大陸や島などの正確な位置の特定が

行われたことも、この航海の大きな成果だった。 

 

特筆すべきクックの功績の一つに「壊血病の防止」があげられる。

ビタミンCの欠乏により発症するこの病気は、

重体になれば死につながるものとして恐れられた。

この時代、航海時の食料は、ビタミンCがほとんどない乾物か、

塩漬けのものばかりであったため、船員に壊血病が蔓延していた。

壊血病から船員たちを守るため、クックは多量の麦芽を備え

麦芽を作って、病気の徴候を示した船員たちに毎日一定量を与えた。

またサワー・クラウト(キャベツを発酵させたもの)を大量に作って

持って行ったが、これも壊血病の予防の効果があった。

だから3年余りの航海のあいだで病死者はわずか一人であった。

 

多大な業績を挙げたクックは、

帰国後に直ちにポスト・キャプテン(勅任艦長、大佐)に昇進し、

同時に海軍を休職して、グリニッジ海軍病院の院長に任命された。

当時、水兵からの栄進は身分制度の厳しいイギリスでは

極めてまれなことであった

さらに壊血病予防に対する貢献に対して、王立協会から表彰され

フェローにも選出された

 

しかし、まだ48歳のクックは海から離れるのに耐えられず、

航海記を書き上げた直後に、

彼の最後の航海となる第3回航海に出帆するのである。

 

(続く)

 

 

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