ミントの人物伝89④〔第880歩〕

スペースシャトルエンデバー』の名に見られるように、

クックの航海の記憶はいまもなお生きつづけています。

 

*ミントの人物伝89④

 

第3回航海の公式の目的は、北極海を抜けて太平洋と大西洋をつなぐ 

北方航路(北東航路を探索することだった。

 

クックは再びレゾルーション号の指揮を取り、

チャールズ・クラークが僚艦ディスカバリー号の指揮をとった。

 

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クックは太平洋からベーリング海峡へ、

そしてハドソン湾を経由して大西洋へ抜けようと計画した。

 

オマイをタヒチに返した後に、クックらは北へと進路を取り、

1778年にはハワイ諸島に上陸。

クックたちはハワイ諸島を訪れた最初のヨーロッパ人となった。

 

クックはカウアイ島に上陸した。そして時の海軍大臣

クックの航海の擁護者でもあったサンドウィッチ伯爵の名前をとり、

ハワイ諸島サンドウィッチ諸島命名した。

なおこの伯爵、ジョン・モンタギューは、ゲームの間でも食べられる

ようにと「サンドイッチ」を考案したとされている人物だ。

 

サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー

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このあとクックは東進し、

1778年3月、北アメリカ西海岸のニュー・アルビオンに投錨。

そのあと北上してゆき

同年8月、アメリカ大陸の最西端、プリンス・オブ・ウェールズに到達。

 

この北洋航海でクックは、カリフォルニアからベーリング海峡に至るまで

を探検、海図を作製した。

 

しかしクックらが何度試みても、秋から冬にかけてのベーリング海峡

どうしても航行できず、そこから北へは進むことができなかった。

 

ー残念だがこれ以上は無理のようだ ー

  

1778年11月、越冬のためレゾルーション号はハワイに戻った。

 

北方航路の航海失敗のためか、クックは日毎に気難しくなる。

このようなクックの精神的状態が、その後の悲劇を引き起こす一因と

なるのである。

 

約1ヶ月のハワイ滞在ののち、クックは探検の再開を決定する。

 

今度こそ成功させよう、そう気負っていたクックだったが

出航後間もなく船の前檣(ぜんしょう、帆柱)が破損したため

補修のため、再びハワイに戻らなければならなくなった。

 

ところがハワイの宗教上の事情では、この突然の帰還は

先住民の側からすると思いがけないことだったため、

クック一行と先住民の間に緊張が生じることになった。

 

1779年2月14日、ケアラケクア湾でクックらのカッターボートを

村人が盗むという事件が起きた。

ほかの島々でも盗難はよくあったことで、盗品の返還交渉は人質を

取ればたいてい解決した。

クックはこのときも先住民の長(おさ)を人質に取ろうとした。

 

だがクックの不安定な精神状態のためか、浜辺に集まった群衆と

小ぜり合いが起きてしまった。

さらに長の1人がクックに殺された、という噂に先住民たちは怒り、

槍や投石でクックたちを攻撃し始めた。

  

クックは退却しようと背中を向けたときに、うしろから刺され

転倒したところを、さらに奪われた剣で切り殺されてしまう。

そしてクックの死体は先住民に持ち去られてしまった。

 

偉大なキャプテンの最期は悲運だったといえよう。

 

クックの死

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クックの遺体は、先住民の長と年長者らにより焼かれてしまったが

乗組員らの懇請によって、遺体の一部がのちに返還され、

クックは海軍による正式な水葬を受けた。

 

その後について簡単に述べておく。

 

2月22日、チャールズ・クラークが先住民たちと和解し出帆する。

そしてクックの遺志を引き継いで、北方航路に挑戦したのだが

やはり氷原にはばまれてしまう。

 

8月22日、肺病にかかったクラークが死んだ後は

ジョン・ゴアが指揮をとり帰国することになった。

 

10月、日本沿海を通過。

 

ゾルーション号とディスカバリー号が英国へ帰国したのは 

1780年8月のことであった。

 

(了)

 

 


(参考文献)

キャプテン・クック(ジョン・バロウ編)

 Wikipedia

 Web他 

 写真や画像はWikipedia、Web から借用いたしました。

 

 

[平成30年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20181231


[平成29年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20171231

 

[平成28年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20161231

 

[平成27年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20151231


[平成26年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20141231


[平成25年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20131231


[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230


[人物伝]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20140930


[YAMAPの記録]
https://yamap.co.jp/mypage/199626

 


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