ミントの人物伝95〔第929歩〕

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かつて阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師が住んでいた。

平家物語の弾き語りが得意で、特に壇ノ浦の段は「鬼神も涙を流す」

と言われるほどの名手であった。

ある夜のこと、和尚の留守の時に、どこからともなく

一人の武士が現われる。

芳一はその武士に請われ「高貴なお方」の屋敷に琵琶を弾きに行く

ことになった。

そこには多くの貴人たちが集まっているようだった。

壇ノ浦の戦いのくだりを所望され、芳一が演奏を始めると皆熱心に

聴き入り、芳一の芸の巧みさをほめそやす。

しかし語りが佳境になるにつれて皆声を上げてすすり泣き、激しく

感動している様子で、芳一はその反響の大きさに内心驚く。

芳一は七日七晩の演奏を頼まれ、夜ごと出かけるようになるが、

武士にこのことは言うなと告げられた。

寺の和尚は、芳一が無断で毎夜一人で出かける事に気付いて

不審に思い、寺男たちに後をつけさせた。

すると大雨の中、芳一は誰もいない平家一門の墓地の中におり、

平家が推戴していた安徳天皇の墓前で、無数の鬼火に囲まれて

琵琶を弾き語っていた。

驚愕した寺男たちは強引に芳一を連れ帰る。

事実を聞かされ、和尚に問い詰められた芳一は事情を打ち明けた。

芳一が貴人だと思っていたのは平家一門の邪悪な怨霊だったのだ。

和尚は、このままでは芳一が平家の怨霊に殺されてしまうと案じた。

そこで和尚は寺男たちと、怨霊が芳一を認識できないように

彼の全身に般若心経を書き写した。

そして芳一に、今後怨霊が何をしても絶対に音を立てず

動かないようにと、かたく言い含めた。

ただこのとき和尚らはひとつの失敗に気づかなかった。

芳一の耳にだけは写経し忘れてしまったことを。 

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小泉 八雲(こいずみ やくも、1850-1904)

パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)

随筆家、日本小説家

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1850年、現在のギリシャ西部のレフカダ島にて

アイルランド人の軍医チャールス・ブッシュ・ハーンと、

ギリシャ人のローザ・カシマティのもとに出生する。

父はプロテスタントだった。

 

1852年から父の実家であるアイルランドのダブリンで

幼少を過ごすが、

1856年、父が西インドに赴任中に両親の離婚が成立。

 

以後、ハーンは両親にはほとんど会うことがなくなる。

 

ハーンは父方の大叔母サラ・ブレナンにひき取られる。

サラは厳格なカトリック教徒であり、ハーンはその文化の中で

育てられることになった。

このため彼は、すっかりキリスト教が嫌いになってしまった。

 

ハーンはフランスやイギリスで教育をうけたが

1865年、 ダラム大学の寄宿学校で回転ブランコで遊んでいる最中に

ロープの結び目が左目に当たって失明、隻眼となってしまう。

このため以降、左目の色が右目とは異なっていることを気にして

ハーンは左を向いた写真ポーズを取るようになった。

 

1869年、大叔母が破産したことから、単身でアメリカに移民。

当初は赤貧生活を体験するが、ジャーナリストとして働きだすと

彼の執筆は好評を博するようになる。

 

その後ニューオーリンズカリブ海マルティニーク島へ移り住み、

文化の多様性に魅了される。

 

1890年のことである。

ハーンは女性ジャーナリストのエリザベス・ビスランドから、

いかに日本が清潔で美しく、人々も文明社会に汚染されていない

夢のような国であったかを聞く。

ハーンは、敬愛していた彼女の発言に激しく心を動かされた。

 

エリザベス・ビスランド

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ハーンはそれまでのニューオーリンズ時代に、万博で見た日本文化に

関心を持っていたし、ニューヨークで英訳古事記を興味深く

読んだ体験もあったのである。

 

ー日本とはどんな国なのか、行ってこの目で見てみたいー

 

ハーンは日本に行くことを決意する。

彼は結婚歴があったがすでに離婚しており、

気楽な立場でもあった。

  

1890年(明治23年)、40歳のハーンは

アメリカの出版社ハーバー・マガジンの通信員として来日。 

 

だがトラブルもあり、ハーンは出版社との契約を破棄してしまう。

ハーンは英語教師として働くことにした。

 

7月、紹介者があり島根県尋常中学校の英語教師に任じられる。

8月、松江に到着。

彼は松江の自然の美しさや人情にふれ、すっかり日本が

気に入ってしまった。

 

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その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように

平家の怨霊が芳一を迎えに来た。

しかし経文の書かれた芳一の体は、怨霊である武士には見えない。

呼ばれても芳一が返事をしないので怨霊は当惑した。

「返事がない。琵琶はあるが、芳一がおらん」

探し回ったところ、写経し忘れた芳一の耳のみが暗闇の中で見えた。 

「なるほど返事をする口がない。両耳のほか体は何も残っておらん。

ならば証(あかし)として、この耳を持ち帰るほかあるまい。」

と言い、芳一の頭から耳だけをもぎ取った。

それでも芳一は身動き一つせず、声を出さなかった。

怨霊はそのまま去って行った。 

明け方になり帰って来た和尚は、両耳をちぎられて血だらけになり

意識のない芳一の様子に驚いた。

昨夜の一部始終を聞いたのち、初めて経文を耳にだけ書きもらして

しまったことに気付き、芳一に自らの非を詫びた。

だがその後、平家の怨霊は二度と現れず、芳一の耳の傷も

無事に癒え、この不思議な出来事が世間に広まり、

彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。

やがて琵琶の腕前も評判になり、その後は何不自由なく

暮らしたという。

Wikipedia、『耳なし芳一のあらすじ』よりー 

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1891年(明治24年)、

松江の士族である小泉湊の娘、小泉節子と結婚する。

なお節子とは三男一女に恵まれている。

 

ハーンと節子

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その後は松江から熊本・神戸・東京と転居をしたが

彼はしだいに日本の古典や、各地に伝わる民話、伝説に

つよい関心を持ちはじめた。

とくに関心をよせた古典は雨月物語「今昔物語」だった。

 

ーじつに面白い、これを小説にしてみようー

 

ペンネームは妻の旧姓である小泉

出雲国(松江)の枕詞「八雲(やくも)立つ」から付けたものだ。

これは帰化したあとの日本人名にもなった。

 

ハーンは日本語がまだよく読めない。

節子は夫のために、内容を読み聞かせた。

また夫のために普段から民話伝説の資料収集に努めた。

ハーンの作品には、彼女以外の家族・使用人・近隣住民、

また旅先で出会った人々の話を題材にしたものも多い。

 

有名な作品「怪談」には

耳なし芳一や「貉(むじな)」などの作品がのせられている。

 

ハーンは

「原稿は9回書き直さなければまともにならない」とし、

非常に文章にこだわったという。

彼の作品は次第に評判になってゆく。 

 

1896年、東京帝国大学の英文学講師に就職。

このとき正式に日本に帰化する。

 

ハーンは気難しいところもあったが、学生の信望は厚かった。

のちに帝大の講師を解任されたとき、留任運動が起きたほどだった。

なお帝大の後任はあの夏目漱石である。

 

彼はさらに早稲田大学で教鞭をとるが 

1904年(明治37年)に狭心症で死去。満54歳。

 

彼は有色人や異文化に対しての差別意識はありませんでした。

日本文化のよき理解者であり、また西洋への伝達者でもありました。

彼の豊かな感性が傑作作品を作り出したといえるでしょう。

 

 (了)

 

(参考文献)

サイト「小泉八雲記念館HP」

 Wikipedia

 Web他 

 写真や画像はWikipedia、Web から借用いたしました。

 

[平成30年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20181231


[平成29年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20171231

 

[平成28年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20161231

 

[平成27年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20151231


[平成26年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20141231


[平成25年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20131231


[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230


[人物伝]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20140930


[YAMAPの記録]
https://yamap.co.jp/mypage/199626

 


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