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「これが飲まずにおれますか」
彼は優秀な政治家だったが、酒豪でもあった。
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*ミントの人物伝98①
大木は大隈・副島・江藤らとともに新政府に出仕した。
彼は真面目で丁寧な仕事をするので、周囲の信頼が厚かった。
明治初期の大木喬任
このときまだ東京は首都ではなかった。
大久保利通は大阪に遷都しようと考えていたが
大木は江藤らとともに東京遷都論を建白する。
ここでエピソードをひとつ。
大木が酒豪であったことは述べた。
彼がほろ酔いで東京遷都案を岩倉具視に相談に行ったところ、
「それは木戸孝允に相談しろ」と追い返された。
翌朝、岩倉から話を聞いた木戸が大木を訪ねると、
今度は大木はやけ酒を飲んで、ふて寝していたという。
「これが飲めずにおれますか。木戸さん」
だが彼の建白書が大久保に高く評価されたのだろうか。
このとき37歳。
大木は7か月ほど府知事を務めたが、おりしも幕府が倒れて
東京は混乱の真っ最中なのに、凶作で米価が高騰し
人心は不安定だった。
大木は素早く米価安定を図った。
また中国から米を輸入し飢餓を救うとともに
浮浪児らの救育所を作ったので、都の人心は安定したという。
ーわが国が発展するためには人材の育成が欠かせない、
そのためには教育制度を整えることが大事だー
日本人の識字率は江戸時代後期の時点で、すでに世界最高レベルに
あったという。
だが大木喬任は『身分に関係なく全ての佐賀藩士に学問を』という
母校の弘道館の姿勢を更に大きく広げ、
『全ての国民に学習させる』
『身分に関係なく優秀な人物には高等教育を受ける機会を与える』
ことを目指したのだった。
全国に学区・校区を設け、各行政区で
・小学校、
・中学校(現代の中学・高校)、
・師範学校(現代の専門学校)、
・大学校
などを運営させたのである。
6歳で小学校に入学することも、このときに定められた。
この学制が明治日本の近代化に果たした効果は大きい。
大木はこのころ台頭してきた征韓論には慎重だったが、
こののち明治日本を揺るがす大事件がまっていようとは
神ならぬ身には知るべくもなかった。
(続く)
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