ミントの人物伝100③「第962歩」

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自然界のなかには、私たちがどうしても不完全にしか

理解できないような複雑な構造があります。

思慮ある人ならばその壮大さを前にして、思わず

謙虚になるはずです。アインシュタイン

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アルバート・アインシュタイン

 

1905年に発表された特殊相対性理論には

「同じ向きに一定の速さで動いているふたつのものの間には」

という条件が付いていた。

アインシュタイン特殊相対性理論を発表した直後から

ここに重力の概念を組み込んで、もっと一般性の高い理論に

しようと考え、研究を続けていた。

 

プラハ大学の教授だったときのこと。

アインシュタインは数学者のオルグ・ピック教授に

自分の発見を伝え、その理論に確信を深める。

 

そして1913年、

ウィーンでの物理学会で、アインシュタイン

次の発表をした。

・重力とは空間のゆがみ、すなわち重力波である。

・地球は太陽の引力により引き付けられて

 公転しているのではない。

 太陽の出す重力波の中で空間がゆがみ、

 最短距離を進もうとして公転することになったのだ。

・光は無重力なら直進するが、太陽のそばを通るときは

 太陽の重力により曲がる。

 

アインシュタインはその証拠として

皆既日食の時に地球から観測すると、星の位置が

ずれているように見えるはずだ、と主張した。 

そしてその角度は約1.75秒である、とも。

 

会場は騒然となった。

これは300年近く信じられていたニュートンの科学法則を

否定することになりかねない学説だったのだ。

 

アインシュタインは1915年から1916年にかけて、 

この学説を一般相対性理論として発表した。

 

ニュートンアインシュタイン

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アインシュタインは、論文を発表した直後から心身ともに

疲れ切っていた。

ついに寝込んだ彼をつきっきりで看病してくれたのは

いとこのエルザ・レーベンタールだった。

このことで妻のミレーバと決定的に不仲になってしまい、

彼女は二人の息子を連れて家を出てしまう。

 

さて、一般相対性理論には

「重力で星の光が曲げられる」という予言も含まれている。 

だから理論の立証のためには、皆既日食の観測が必要だった。

 

1919年の皆既日食において、

太陽の重力場で星の光が1.64秒曲げられたことが、

ケンブリッジ天文台の観測により確認された。 

 

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これにより一般相対性理論は正しい理論だと学会でも

認められるようになった。 

 

相対性理論は時間や空間についてのまったく新しい考え方で、

宇宙の仕組みをはじめ、その発生や消滅などの大問題を解く

きっかけになる画期的なものだった。

 

なお、妻のミレーバとは別居状態が続いていたが、

1919年2月に正式に離婚手続きが完了している。

アインシュタインは相当の慰謝料を払う金銭的な余裕が

なかったため、

ノーベル賞をとってその賞金を慰謝料とする」

と条件を提示することで、ともかく離婚を成立させたのだった。

なんだかものすごい話だが、

彼のノーベル賞受賞は自他ともに確実視されていたのだろう。

 

ミレーバとの 離婚が成立した1919年の6月に

アインシュタインはエルザと再婚した。

 

そして3年後の1922年11月、招待された日本への航海途上、

夫婦のもとにノーベル物理学賞受賞の連絡が届いたのだった。

アインシュタイン、43歳の秋だった。

 

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 (続く)

 

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