*ミントの人物伝その38−2[第273歩・曇]

ロンメルはイギリス製のゴーグルを愛用していました。
リビアでの戦闘時に拾ったものです。
敵軍の持ち物であっても、彼は特に気にしなかったんですね。
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ミントの人物伝(38−2)


1940年5月10日、ドイツはベルギー・フランスに侵攻する。
西方電撃戦の開始だ。


ロンメルの第7装甲師団は6月までの間に、常に軍団の先頭に立ち快進撃を続けた。
あまりにその進軍が早く、イギリス・フランス連合軍にしてみると
いつの間にか前線を通り抜けられていることもしばしばで、
「幽霊師団」と呼ばれ恐れられたという。


5月、ベルギーが降伏。
6月14日にはパリが陥落、そしてフランスが降伏する。


ロンメルは、この西方電撃戦を通じ
アラスシェルブールの戦いで戦功をあげた。


命令を無視した独断行動も多かったが、彼の上司であるヘルマン・ホト大将は
「常に前線に立とうという意欲、テンポの早い局面で決定的なポイントを察知する
彼の能力は素晴らしい」

と褒めている。


こののちロンメルは、一旦ドイツに戻り休養をる。
この間に宣伝相ゲッペルスの依頼により、戦争映画の製作指導をすることになった。
ロンメル自身出演もしている『西方における勝利』というこの映画により
彼は銀幕のスターにもなったのである。


1941年1月に中将、そして2月にはドイツ・アフリカ軍団の軍団長となる。
ロンメルは2個師団の戦車300台を率いて、同盟国イタリアが失った北アフリカの勢力圏を
イギリスから奪回することが求められた。
ロンメルの名声を不動にした北アフリカ戦線である。


砂漠での戦闘となるので戦車が主兵器になる。
物量に勝るイギリス軍に対し、ロンメルは様々な戦術を駆使して勝利を重ねてゆく。
戦車をぐるぐる周回させ土煙をあげさせ、大戦車隊がいるように見せかけたため
イギリス軍は、せっかく獲得した占領地を放棄してしまったこともあった。

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1941年7月に装甲大将になり、1942年1月には上級大将となる。


1942年6月にガザラの戦いで勝利し、キレナイカトブルクを陥落させる。


この功績でついにロンメル元帥になる。
開戦時は少将だったのが、3年足らずで中将、大将、元帥である。
このとき50歳。
ドイツ史上最年少の元帥だった。


ロンメルの指揮の下、この戦域ではドイツ軍は騎士道精神を貫いて、誇り高く戦った。
彼は自分の部下を大事にしたが
国際条約を遵守して、捕虜も丁重に取り扱ったのである。

そのため、敵国のイギリス兵からも尊敬を集めることになった。
ロンメルアメリカでも、ヒトラーに次ぐ有名なドイツ人だったという。


このように善戦していたロンメルではあるが、1941年12月のアメリカ参戦の頃から
ドイツ・イタリア軍と、連合国軍との戦力差が顕著になってゆく。
ロンメルは従来より戦力の増強を求めていたが
すでにソ連との戦いを始めていた本国にはその余裕はなかった。


(続く)


(参考文献)
Wikipedia
写真はWikipediaから借用いたしました。