アスリートが全力を尽くす場面は感動を呼びます。
時が経っても変わることはありません。
ミントの人物伝(その45−1)
前畑秀子(まえはたひでこ、1914-1995)
水泳選手。
1914年(大正3年)和歌山県橋本市に生まれる。
家業は豆腐店だった。
秀子は子供の頃から紀ノ川で水泳に親しんでいた。
小学5年のとき、学童水泳大会に出場し
50m平泳ぎで学童新記録を出したので、注目を受けるようになる。
小学校高等科から名古屋の椙山(すぎやま)女学校に進学。
水泳で次々と新記録を出していた彼女だったが
進学してまもなく、両親が亡くなってしまう。
秀子も含めて5人の兄弟が残されてしまった。
両親を亡くしたショックもあり、家族の生活のこともありで
秀子は退学を決意した。
家業を手伝い、水泳はやめようと思ったのだ。
しかし彼女の才能を惜しむ校長や親戚、友人の励ましを受け
再びプールに戻ってくることになる。
−私は多くの人に支えられている。なまけてはいられない−
彼女はますます猛練習に励むことになった。
温水プールなどない時代だ。
春先の寒い時期も、風呂で身体を温めながら
毎日2万メートルを泳いだという。
1932年(昭和7年)ロサンゼルスオリンピックに出場。
彼女にとって初めてのオリンピックである。
<200m平泳ぎ決勝>
1位 クレア・デニス オーストラリア 3分06秒3
2位 前畑秀子 日本 3分06秒4
1位のとの差はわずか0.1秒の接戦だった。
彼女は考えた。
−金メダルはとれなかったが自分なりに頑張った。
もうこれで水泳はやめよう−
このまま続けたとして、4年後のオリンピックの時には
22歳になってしまう。
今では考えられないことだが
当時20歳を過ぎてスポーツをする女性などいなかったのだ。
しかし彼女への金メダルの期待は大きかった。
日本中からの多くの激励が彼女を後押しする。
−そうだ、わたしはこれまで多くの人に助けられてきた。
少しでも期待に応えなければならない−
彼女は、次回のベルリンオリンピックへの出場を決意する。
(続く)
[平成23年の記録]
http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231
[平成22年の記録]
http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230