*ミントの人物伝その24−1[第210歩・晴]


ミントは英雄伝にはそれほど関心がありません。
しかしながら、今回の人物は興味深いので書くことにしました。
少し長くなりますので、3回に分けることにします。


ミントの人物伝(その24−1)


ハンニバル・バルカ(B.C.247-B.C.183)
カルタゴの将軍、第2次ポエニ戦争を開始した人物


ローマ人は、紀元前270年頃までにイタリア半島を統一して共和国を作りあげた。
ローマの共和制は
貴族からなる元老院、役人の執政官、平民の代表である護民官三者が話し合い、政治を動かす仕組みだった。


一方、カルタゴというフェニキア人の国がアフリカ北部にあった。
ローマが統一された頃、地中海の貿易を独占していたのはカルタゴだった。
フェニキア人は海洋貿易に長けており、地中海に拠点を数多く建設していたが
国力を増したローマ人との間で、次第に対立が深まってゆく。


ついにB.C.264年、両者は戦争を始めた。第1次ポエニ戦争である。
ちなみにポエニというのはラテン語フェニキア人の意味。
B.C.241年、23年間に及んだ第1次ポエニ戦争の結果、カルタゴはローマに敗れてしまう。


こののちカルタゴヒスパニアイベリア半島)の植民地経営に乗り出す。
新将軍ハミルカルは、赴任地のヒスパニアバール宮殿で
幼い子供のハンニバルにローマへの復讐を誓わせたという。


ハンニバル。我々の海だった地中海を奪ったローマは敵だ。
一生、ローマを敵として戦うのだ」
「父上、必ず破って見せます。お任せください」

このような会話があったかもしれない。
ハミルカルは数年後死去する。


時が過ぎ
B.C.221年、ハンニバルは26歳でカルタゴの将軍に選ばれる。
すぐに彼は、イベリア半島エブロ川南部にある都市サグントゥムの制圧を果たす。
これはローマとの相互不可侵条約に対する違反行為だった。
ローマはカルタゴハンニバルの懲罰を要求するが
カルタゴ政府はハンニバル人気の前に何の手も打てなかった。


ついにハンニバルのローマに対する戦いが始まる。
B.C.218年、ハンニバルは満を持してイベリアのカルタゴ・ノヴァを出発する。
歩兵90,000人、騎兵12,000人、戦象37頭、将官以外は全て傭兵だった。
第2次ポエニ戦争の始まりである。


ハンニバルは奇想天外の作戦を立てる。
ローマを攻撃するのに「冬のアルプス越え」ルートを選んだのだ。


ハンニバルは考えた。
「常識的には沿岸沿いに船団を組んで進むところだろう。
しかし今は、ローマが地中海の覇権を握っているため苦戦が予想される。
また陸路でも、イタリア西部・南部にはローマ軍が待ち構えているに違いない」
と。


ローヌ川での戦いのあと
B.C.218年9月、ハンニバルはアルプス越えに挑んだ。
9月から10月のアルプスはすでに冬である。
46,000人の兵士と、戦象を37頭率いての行軍は困難をきわめた。
寒さと疲労に悩みながら、狭い山道や崖を通った。
ケルト部族との戦闘もあり
イタリアのトリノに到着したときには、兵士26,000人、戦象は20頭に減っていたが
ついにアルプス越えに成功するのである。
<続く>




古処山