*ミントの街ある記その16[第260歩・晴]

寒いですが、元寇防塁を見に行きました。


ミントの街ある記(その16)


福岡市西区に生の松原(いきのまつばら)があります。

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海水浴場として夏はにぎわうところですが、昔は戦場でした。
ここに国史跡の元寇防塁跡(げんこうぼうるいあと)があります。



1274年(文永11年)、元は900艘の軍船と2万8千人の軍兵で博多湾に押し寄せ
九州の御家人達と激しい戦いをくりひろげました。
元軍は意外な抵抗を受け、結局、博多の占拠もできずに、早々に撤退しました。


鎌倉幕府は再度の襲来に備えて、九州各国の御家人に命じ
博多湾岸沿いに約20kmにわたり石築地(防塁)を築かせ、その場所を警備させました。


生の松原地区の防塁は、肥前国が担当して築造しました。
ちなみに2度の元寇のとき、筑前に駆けつけ戦った竹崎季長(たけざきすえなが)
肥前国御家人です。
防塁説明板に『蒙古襲来絵詞』が描かれていました。


1281年(弘安4年)、元は再び日本を攻めました。
今度は4400艘、14万人ともいわれる大軍でしたが、この防塁と武士の奮戦により
やはり元軍は博多に上陸できませんでした。
そのうちに台風(暴風雨)のため、元の軍船の多くが沈んでしまい、結局
元寇は失敗に終わっています。


この防塁に使われた石材ですが
のちに黒田長政が福崎の地に舞鶴城(福岡城)を築く際に
多く使用されたとのことです。