ミントの人物伝その86−2〔第817歩〕

人生は重要な岐路の連続でしたが、彼は冷静な状況判断で乗り切ります。


ミントの人物伝(その86−2)


1582年(天正10年)6月2日、本能寺の変が起こる。
聞いた藤孝と忠興は仰天する。
なんと光秀が主君である信長を討ったというのだ。

まもなく光秀から援軍要請の書状が届く。
藤孝はここで光秀に付くか否かの選択をせまられることとなった。

だが藤孝は冷静だった。
光秀は友人で親戚ではあるが、謀反人であり大義がないと判断、
味方しないことを決断した。
そして信長の死に殉じて剃髪し、幽斎玄旨(ゆうさいげんし)と号して
田辺城に隠居した(以降は幽斎と表記)。

またこのとき家督を譲った忠興は
妻であり光秀の娘であるガラシャ丹波に幽閉している。

細川忠興

現代の我々から見れば、光秀に付かないのは当然だろうと思えるが、
幽斎の冷静な状況判断があったといっていいだろう。

同じく光秀と関係の深い筒井順慶も助勢を断ったため、
窮地に陥った光秀は山崎の戦いで敗死する。


その後の幽斎は豊臣秀吉に重用され、
在京料として山城西ヶ岡に3千石を与えられることになった。

だが武将としての活躍もまだまだ続く。
1585年(天正13年)の紀州征伐、
1587年(天正15年)の九州平定にも武将として参加している。

豊臣秀吉

幽斎は千利休らとともに秀吉側近の文化人として遇された。
1585年(天正13年)には従二位法印に叙せられている。
息子の忠興もまた茶道に造詣が深く、利休の高弟の一人となる。

一方、徳川家康とも親交があり、
1598年(慶長3年)に秀吉が死去して、世情が騒がしくなると
家康に接近した。

次の実力者は家康であると幽斎は判断したのである。


1600年(慶長5年)7月、石田三成らが家康討伐の兵を挙げる。

大坂にいた忠興の夫人ガラシャ
屋敷を包囲されると、火を放って自害してしまう。

丹後田辺城に攻撃してきた西軍に対し、
幽斎は三男の幸隆と共に籠城をして抵抗する。
忠興は家康に従い上杉討伐に参加し不在であるため
このとき5百に満たない手勢だった。

田辺城は1万5千の大軍に包囲されたが、籠城勢の抵抗は激しかった。
また攻囲軍の中には幽斎の歌道の弟子も多く、戦闘意欲に乏しかったこともあり、
長期戦となってゆく。

幽斎の弟子の一人だった八条宮智仁親王は7月と8月の二度にわたって
講和を働きかけた。
が、幽斎はこれを謝絶して籠城戦を継続する。

じつは幽斎は
1576年(天正4年)に二条流の三条西実枝から「古今伝授」を受けていた。
古今伝授とは、
古今和歌集の解釈を秘伝として師から弟子に伝授すること』であり
幽斎はこの時期、唯一の伝承者だった。

幽斎は使者を通じて『古今集証明状』を八条宮に贈り、
『源氏抄』と『二十一代和歌集』を朝廷に献上し
覚悟のほどを示した。

幽斎が死ねば秘伝である古今伝授の伝承者がいなくなる。
危機感を抱いた八条宮が兄の後陽成天皇に奏請したことにより
勅使が田辺城に下され、関ヶ原の戦いの2日前の9月13日、
勅命による講和が結ばれた。

幽斎は2ヶ月に及ぶ籠城戦を終えて
9月18日に城を明け渡し、敵将である前田茂勝の丹波亀山城に入った。

一介の武将を助けるために勅使が派遣されるなど
きわめて異例のことだった。
まさしく「芸は身を助く」のことわざ通りである。


さて息子の忠興だが、
関ヶ原の戦いにおいて石田三成の軍と戦い活躍し、
戦後、豊前小倉藩39万9千石の大封を得ることとなった。

この後、長岡氏は細川氏に復する。
以後長岡姓は細川の別姓として、一門・重臣に授けられることになる。
だがこの新しい「細川」は「近世大名家」としての姓であって
もはや「足利幕臣」としての姓ではない。

その後の幽斎は京で悠々自適な晩年を送ったとされる。


1610年(慶長15年)8月20日京都三条車屋町の自邸にて
その波乱に富んだ人生を閉じる。
享年77歳。 


初めは室町幕府将軍の足利義輝と義昭に仕え、
後に織田信長に従い、丹後宮津11万石の大名となった。
本能寺の変ののちは信長の死に殉じて剃髪し、家督を忠興に譲るが、
その後も豊臣秀吉徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎となった。
また、三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた文化人でもあった。
世渡りの名人ともいえるが、
人生の達人といったほうがいいかもしれない。


(了)


(参考文献)
Wikipedia
細川幽斎・忠興のすべて」米原正義 編
Web他 
画像はWikipedia、Web から借用いたしました。


[平成29年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20171231


[平成28年の記録]
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[平成26年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20141231


[平成25年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20131231


[平成24年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20121230


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230


[人物伝]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20140930


[YAMAPの記録]
https://yamap.co.jp/mypage/199626


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