*ミントの人物伝その12[第180歩・晴]

一円切手の肖像になったこの人がいなかったら
日本の首都は大阪になり、大阪弁が標準語になっていたでしょう。
ホンマやで。


ミントの人物伝(その12)
前島密(まえじまひそか、1835-1919)
日本の官僚、政治家。
日本の近代郵便制度の創設者。郵便の父と呼ばれる。


前島は越後国頸城群(新潟県上越市)出身で、幼名は上野房五郎。
豪農の次男坊として生まれたが、父親はすぐ病没したため母の手で育てられる。
苦学をし、12歳で江戸へ向かう。
江戸で医学と蘭学を、函館で航海術を学ぶ。
越後出身の幕臣、前島家に養子入りする。


1866年(慶応2年)、彼は将軍徳川慶喜に建白書を提出している。
曰く
「漢字は形が複雑で、読み方も音と訓があって学びにくい。
 全廃してアルファベットかカナ文字にすべきだ」

ちょっと乱暴な意見でありどうかと思うが、彼が革新的な見識を持っていたことをうかがわせて面白い。


1867年(慶応3年)、大政奉還がなされ、新たな政治の中心地をどこに置くかが議論されるようになる。
京都の公家達は移転に反対だったと思うが、大久保利通は外交や軍事面から浪速(大坂)が良いと考えていた。
(この当時は大坂であり、大阪の文字が使用されるのはのちのことである)


前島は幕臣の立場であったが、大久保に「江戸遷都の建白書」を提出した。
彼はその中でこう述べた。


一.大坂は町が狭い。
   そこに皇居や役所、学校など何もかも新築しなければならないのは大変だ。
   江戸にはすべてが揃っている。その方が国費の節約になる。
一.蝦夷地(北海道)を開拓すれば江戸が地理的に国の中心となる。
一.首都を近畿地方に置けば江戸は寒村となってしまう。


卓見である。
実際江戸の町は、江戸城無血開城が行なわれたため市街地もそのまま無事であったし
参勤交代が中止され大名たちが国元に帰ったため、広大な土地や屋敷が廃墟となり残されていた。
ちなみに旧武家の土地が江戸全体の70%もあったらしい。
彼の意見が採用され、大都市東京(とうきょう)が生まれることになる。


1869年(明治2年)、政府の招聘(しょうへい)により民部省の改正係となる。
仕事は通信と運輸の整備だった。
当時は飛脚や問屋場という制度により通信や運輸が行なわれていたが
料金が高い、配達地域が限られているなどの欠点があった。


前島は翌年渡英し、郵便制度を視察する。
彼は英国の進んだ郵便制度を見て
政治経済活動を円滑にし、庶民の生活を豊かにするためには
通信運輸の業務を国が行い、国の隅々までゆきわたらせ
安く利用できるようにしなくてはならないと考えた。


1871年明治4年)、全国各地の有力者の家を借りて民間委託的な郵便取扱所を設ける。
特定郵便局の誕生である。
翌年には1千店余の郵便取扱所が出来、料金も安かったので広く利用されるようになった。


そうなると黙っていないのが飛脚の業者たち。
「われわれの仕事を奪い取るのか」と騒ぐので
前島は飛脚業の代表者を呼んで、今後は貨物の運輸を業務とするよう説得した。
これがやがて陸運会社へ組織化され、日本の運輸を支えることになる。
のちの日本通運である。


その後の前島は、東京専門学校(のちの早稲田大学)校長や、北越鉄道社長などを務めたが
1919年(大正8年)、84歳の生涯を閉じた。
日本の近代化に大いに貢献した人物だった。


たぶん今でも一円切手は郵便局で売られているのでしょうが
めったに見なくなりましたね。


(参考文献)
 Wikipedia
「歴史の中の新潟人国記」(佐藤国雄、恒文社)
「教科書が教えない歴史2」(扶桑社)他
 写真はWebから借用しました。


***最近読んだ本***



則天武后(そくてんぶこう、津本陽

非常に悪名高い中国歴史上の人物。
彼女は唐王朝を乗っ取ってしまい、周王朝の女帝として君臨する。
非常に残虐であり多くの命を奪ったが、政治家としては有能だったようだ。
津本陽歴史小説は、登場人物に方言を話させるのが特徴だが
さすがに中国ものは標準語だった。


縦走路から見た金山