*ミントの人物伝その46−3[第324歩]

トーマスはとにかくよく働きました。
1日3時間程度しか寝てなかったともいわれます。
『天才とは1%のひらめきと99%の汗である』
の有名な言葉を残しています。


ミントの人物伝(その46−3)


トーマスはウェスタン・ユニオン社を辞めた。
そして電気と機械の研究をするために
電信機器の製作をしているチャールズ・ウィリアムズ社に移る。


1869年、トーマスは実用化された最初の発明をする。
『ストック・チッカー(株式相場表示機)』である。
これは最新の株の値段を、電信で別の場所に送り、印字機で打ち出すものだった。
便利なものだったので、ニューヨーク市の金取引所で採用された。


1870年、トーマスは、改良したストック・チッカーの特許権
ウェスタン・ユニオン社に売却する。
5千ドルくらいで売るつもりが、4万ドル(現在では2億円相当)という大金で売れたので
彼はこの莫大な資金を元にして、研究発明するための研究所を設立しようと考えた。


1871年トーマスは、ニュージャージー州ニューアークに工場と研究所を設立し
1876年には同州メンロパークに移転する。
トーマスが所長となり、優秀な人材が集められた。
ここから次々と優れた研究成果が生まれることになる。
この「発明工場」はメンロパーク帝国と呼ばれた。


1877年、電話機の改良。
電話機自体は前年のグラハム・ベルによる発明だが
トーマスはこれに改良を加え、送話距離を大幅に伸ばすことに成功する。
電話機を実用化に耐えるものにしたのは彼の功績である。


同年、蓄音器の発明。
最初に録音されたのはトーマス自身が歌う『メリーさんの羊』だった。


この蓄音機は非常に評判となった。
噂を聞きつけて、ジョン・ヴィンセントという牧師がやって来た。
牧師は疑っていた。
『腹話術師でもいてしゃべっているに違いない。インチキをあばいてやろう』
そう考え機械に向かって、聖書に登場する難しい人名を早口で吹きこんでみた。
ところが返答に全く間違いがなかった。牧師は非常に驚きかつ感心して
「あなたに神の祝福がありますように」
そうトーマスに言って、帰って行ったという。
なおこの蓄音機は、のちの1888年に改良型が作られ
やがてはレコードプレーヤーへと発展してゆく。


初期の蓄音機とトーマス・エジソン


その他の発明を列挙してみると
1879年、電球の発明。
1880年発電機の発明。
1891年、映写機(キネトスコープ)の発明。
1897年、改良型映写機(ヴァイタスコープ)の発明。
1910年、トースターの発明。
などになる。


生涯1300ともいわれるトーマスの発明は、一面、独創性が少なかったともいわれる。
しかし彼は、既存の発明を工夫改良して、世の中に普及させることで
大きな貢献をしたのは間違いない。



(続く)


(参考文献)
「世界を変えた科学者エディソン」スティーブ・パーカー<岩波書店
 Wikipedia
 写真はWikipediaから借用しました。


[平成23年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111231


[平成22年の記録]
 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20111230