*ミントの人物伝その62−1[第445歩]

この週末は山歩きが出来ませんでした。残念ながら。


ミントの人物伝(その62−1)


陸奥宗光(むつむねみつ、1844-1897)

明治時代の政治家。外相。


1844年(天保15年)紀州藩士・伊達宗広の六男として生まれる。
幼名は牛麿(うしまろ)。のちに陸奥陽之助と称する。
だが宗光が8歳のとき、父親が藩内政争に敗れて失脚したため
一家は困窮した。
この点は児玉源太郎と似ている。
明治の偉人たちの生い立ちには共通するところが多い。


1858年(安政5年)、江戸に出て安井息軒に師事するが
吉原通いが露見し破門されてしまった。
決して真面目な学生ではなかったようだ。


その後は水本成美に学び
土佐藩坂本龍馬長州藩桂小五郎木戸孝允伊藤俊輔伊藤博文
などの志士と交友を持つようになる。


特に親しくなったのが龍馬であり、陸奥は龍馬のことを
「彼ほどその融通変化の才に富んだ男はいない。自由自在な人物、まさしく大空を翔(かけ)る奔馬だ」
と絶賛している。


1863年文久3年)、勝海舟の神戸海軍操練所に入る。
1867年(慶応3年)には坂本龍馬海援隊に加わるなど、終始坂本と行動をともにした。


陸奥は、次第にその才能を発揮した。
龍馬をして
「刀を二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」
と言わしめるほどだったという。


龍馬が暗殺された後は、紀州藩士三浦休太郎を暗殺の黒幕と思い込み、
海援隊の同志と共に、彼の滞在する天満屋を襲撃する事件(天満屋事件)を起こしている。


明治維新後は岩倉具視の推挙により、外国事務局御用係となる。
しかし彼には早速の難問が待ち受けていた。


戊辰戦争時のことだが、官軍はアメリカと交渉し、
甲鉄艦として知られるストーンウォール号の引き渡し契約を締結していた。
その際の、未払金十万両があったのだが財政基盤の脆弱だった新政府には払えなかった。
この金をどう工面するかが焦眉の課題だったのである。


「俺がやろう」
陸奥自身が大阪の商人達と交渉し、未払金額を一晩で借り受けることに成功した。
あざやかな手際の良さに政府首脳は驚いたが、とくに喜んだのが
友人の伊藤博文だった。
−あいつは交渉力がある。たいした男だ−
  

その後は兵庫県知事、神奈川県令、地租改正局長などを歴任する。


1872年(明治5年)に最初の夫人である蓮子が亡くなり、翌年に亮子と結婚する。
蓮子、亮子ともに芸妓出身であるが
亮子はのちにその美貌・聡明さによって「鹿鳴館の華」と呼ばれることになる。


陸奥亮子


ところが陸奥は、次第に薩長藩閥政府の現状を腹立たしく感じるようになる。
1874年(明治7年)ついに役人を辞した陸奥は和歌山に帰ってしまった。


1875年(明治8年)大阪会議で、政府と民権派が妥協するが、
陸奥はその一環で設置された元老院の議官に選ばれる。
再び政府に戻ってきたのである。


1877年(明治10年)の西南戦争の際、土佐立志社の林有造・大江卓らが政府転覆を謀った。
このときじつは陸奥は土佐派と連絡を取り合っていた。
翌年にこのことが発覚し、西郷軍ともつながりがあったのではないか、と疑われ
除族のうえ禁錮5年の刑を受け、投獄されてしまった。


陸奥に政府転覆の意思まであったかは分からない。
ただ時の政府の体制に批判的であったことは確かだろう。


彼にとって逆境であったが、決してめげることはなかった。
山形監獄に収容された陸奥は、せっせと妻亮子に手紙を書く一方で
自著を著したり、哲学者ベンサムの著作の翻訳を行った。


山形監獄が火災にあったとき、陸奥焼死の誤報が流れた。
このとき一番心配したのが伊藤博文だった。
誤報であることがわかると、伊藤は手を尽くして
当時最も施設の整っていた宮城監獄に陸奥を移させたのである。


1883年(明治16年)1月、陸奥は特赦によってついに出獄を許される。


「どうだ、勉強のため外国を見てこないか」
伊藤の勧めもあって、陸奥はヨーロッパに留学することにした。


当時の日本は、諸外国との間に締結した不平等条約改正の問題があった。
このときすでに、伊藤は陸奥
やがては日本の外交交渉を任せる期待をしていたのかもしれない。


1884年明治17年)にロンドンに到着した陸奥は、
西洋近代社会の仕組みを知るために必死で勉強を始めた。


(続く)



***最近読んだ本***


「午後の行商人」(船戸与一
メキシコを舞台にして日本人の若者が
ふと知り合ったタランチュラと名乗る老人と行商の旅に出るのだが
じつはこれは命を懸けた壮絶な復讐の旅だった!
著者のメキシコ民族運動に対する知識は深い。
大人の冒険小説だ。
興味深く読んだ。




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