*ミントの人物伝その38−3[第274歩・曇]

ロンメル砂漠の狐(Desert Fox)』とも呼ばれました。
欧米では『狐』は賢いものの象徴となっているので、これは誉め言葉なのです。


ミントの人物伝(38−3)



ロンメルは、不利な状況を打開しようとエジプトに進撃するが
1942年6月、エル・アラメインの戦いで敗北してからは撤退を重ねた。
いかに彼が戦術の天才でも、燃料が不足していてはどうしようもない。
戦力差はいかんともしがたい状況だったのだ。


11月8日、米英軍が北アフリカに上陸。
リビアにいたロンメルは、総統命令を無視して撤退を続けさせた。
この頃からヒトラーとの関係がぎくしゃくしてゆく。


開戦当初はロンメルヒトラーのお気に入りの将軍だったが
この頃は、人気・実績がきわめて高いロンメルを脅威と感じていたようだ。
またロンメルも、ヒトラーのいかなる場合も撤退を許さない指示命令に
大いに疑問を感じるようになっていた。
彼は部下を無駄死にさせたくなかったのだ。


1943年3月、アフリカ軍集団司令官を解任され、ベルリンに呼び戻される。
体調も崩していたロンメルは、しばらく休養した後、北フランス地区担当に任じられる。
ここには連合国軍の上陸が予想されるノルマンディーがあった。


1944年6月6日、アメリカ・イギリス連合軍はノルマンディー上陸作戦に成功する。
このいちばん長い日(The Longest Day)ロンメルは不在だった。
不覚にも、愛妻家の彼は、妻の誕生日のため休暇を取っていたのだ。


いよいよドイツ軍の劣勢が決定的になったと判断したロンメル
ヒトラーに進言する。
「早期に連合国と講和を結ぶべきです」
この頃になると、ヒトラーに直言できるのは、ロンメルしかいなかったのだ。
しかしヒトラーは怒った。
ドイツ帝国には勝利か死があるのみである。将軍、出て行きたまえ!」


ロンメルは愕然とした。
−今こそわかった。ヒトラーは狂っている。
彼は国を滅ぼそうとしているようだ。
私はこれまで何のために戦ってきたのだろうか−


8月25日、アメリカ・イギリス連合軍はパリを開放。
そしてベルリンに向かって進軍を始めた。
一方、東からは怒涛のようにソ連軍が押し寄せてきていた。


10月14日、ヒトラーの使者がロンメルの自宅を訪ねて言った。
「あなたに総統暗殺事件の容疑がかかっています。
家族を強制収容所に入れたくなければ、名誉の死を選びなさい」


この3ヶ月前に、ヒトラーの暗殺未遂事件があったが
その首謀者がロンメルではないか、というのである。
真相は分からない。
だがヒトラーといえども
国民的英雄であるロンメルを、逮捕、処刑することはできなかったのだ。


選択肢は一つしかなかった。
家族が収容所に入れば死は免れない。
ロンメルは、家族一人一人に別れを告げ、毒を仰ぐ。
さびしく、そしていさぎよい最後だった。
享年52歳。


ヒトラーが自殺し、ドイツが連合国軍に降伏するのは
その7ヶ月後のことである。


優れた軍人だが、部下を大事にし、捕虜を丁重に扱った。
人種差別には反対で、最後までナチスに入党しなかった。
そして愛する家族を守るために、自ら死を選んだ。
狂気の時代ではあったが、彼の存在は光り輝いている。


現在、ブラウシュタイン市ヘルリンゲンにある彼の墓には
イギリス人やアメリカ人も含め、世界中の人々による献花が絶えないという。




(参考文献)
Wikipedia
写真はWikipediaから借用いたしました。