人物伝

*ミントの人物伝その63[第469歩]

人物伝以前に記載した分の手直しです。 大河ドラマで取り上げられてますね。 格好いい武士です。 ミントの人物伝(その63) 母里太兵衛(もりたへえ、1556〜1615?) 黒田家の家臣。武将。 黒田如水、長政に仕えた勇将で 「黒田二十四騎」のなかの「黒田八…

*ミントの人物伝その62−3[第447歩]

最初に物事を成し遂げた人は名を残します。 前人未到という言葉が、いつの時代にも光彩を放つように。 ミントの人物伝(その62−3) 1894年(明治27年)になったが議会は解散したままの状態だ。 3月1日に総選挙、5月半ばの国会再開の予定となったので 陸奥…

*ミントの人物伝その62−2[第446歩]

国と国とが対等に交渉できるのは 互いに相手の実力を認めているからで、これは個人間にも通じそうです。 ミントの人物伝(その62−2) 1886年(明治19年)2月に陸奥は帰国する。 海外での体験と勉学は、陸奥を変えていた。 彼はすでに衰退してゆく自由民権…

*ミントの人物伝その62−1[第445歩]

この週末は山歩きが出来ませんでした。残念ながら。 ミントの人物伝(その62−1) 陸奥宗光(むつむねみつ、1844-1897) 明治時代の政治家。外相。 1844年(天保15年)紀州藩士・伊達宗広の六男として生まれる。 幼名は牛麿(うしまろ)。のちに陸奥陽之助…

*ミントの人物伝その61[第440歩]

人物伝は久しぶりです。山歩きレポも書きたいのですが。 ミントの人物伝(その61) 李靖(りせい、571-649) 中国唐代に太宗に仕えた軍人・政治家。 571年、長安の近郊で生まれる。 隋の高官の一族の出身である。 若いころから体格も良く、兵法書をよく研…

*ミントの人物伝その60−3[第431歩]

嵐のような苦しい時期に浩を支えたのは 家族の絆だったのかもしれません。 ミントの人物伝(その60−3) 日本に引揚げた浩は慧生との再会を喜んだあと 父・実勝が経営する町田学園の書道教師として生計を立てながら、 横浜市日吉に移転した嵯峨家の実家で…

*ミントの人物伝その60−2[第430歩]

禍福はあざなえる縄のごとし、といいますが 彼女の人生はまさしく激動でした。 ミントの人物伝(その60−2) 浩たちが新京に戻って半年が過ぎた。 1945年(昭和20年)8月頃には、 もはや日本の劣勢は誰の目にも明らかであった。 8月10日には、日ソ中立条約…

*ミントの人物伝その60−1[第429歩]

これは日本と中国の架け橋になろうと満州に渡り 数奇な運命をたどった女性の話です。 ミントの人物伝(その60−1) 愛新覚羅浩(あいしんかくらひろ、1914−1987) 愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ)の妻。流転の王妃。 1914年(大正3年)、侯爵である…

*ミントの人物伝その59−5[第427歩]

栄光の日々ばかりではありませんでした。 失意の日々もありました。しかし決してくじけませんでした。 ミントの人物伝(その59−5) 地図(かなり不正確で見づらいですがご了解下さい) 1866年、リヴィングストンはまたアフリカの地を踏んだ。3回目の探検…

*ミントの人物伝その59−4[第426歩]

1回目の探検でやめていれば安楽に生涯を送れたかもしれません。 しかし彼はそれを望みませんでした。 ミントの人物伝(その59−4) 地図(かなり不正確で見づらいですがご了解下さい) アフリカに発つ前年、リヴィングストンは伝道協会を辞めた。 両者の探…

*ミントの人物伝その59−3[第424歩]

リヴィングストンの探検では、原住民たちとの親密な人間関係を大事にしました。 なので原住民たちも彼を父のように慕いました。 ミントの人物伝(その59−3) 地図(かなり不正確で見づらいですがご了解下さい) 1854年9月、リヴィングストンはルアンダを…

*ミントの人物伝その59−2[第423歩]

奴隷売買を目撃したことは、その後の彼の生涯を決定づけることとなります。 ミントの人物伝(その59−2) 地図(かなり不正確で見づらいですがご了解下さい) [ 1844年、傷の癒えたリヴィングストンはモファット博士の娘メアリーと結婚する。 クルマンに来…

*ミントの人物伝その59−1[第422歩]

かつて未開地開拓と奴隷売買廃止のために 生涯を捧げた探検家がいました。 ミントの人物伝(その59−1) デイヴィッド・リヴィングストン(1813− 1873) イギリスの探検家、宣教師、医師。 1813年、スコットランドで敬虔なカトリック信者の次男として生ま…

*ミントの人物伝その58−3[第398歩]

泗川や関ヶ原での勇猛ぶりから、島津軍はますますその威名を高めました。 このことが関ヶ原以降の島津家の運命に影響を与えます。 ミントの人物伝(その58−3) 1600年(慶長5年)の関ヶ原合戦は徳川家康と石田三成との対決だが、より正確に言えば 三成に…

*ミントの人物伝その58−2[第397歩]

島津軍は鬼兵とも恐れられましたが、確かにその強さは際立っていました。 ミントの人物伝(その58−2) さて大友宗麟はどうしていたか。 1578年(天正9年)の耳川合戦で島津に敗れて以来、大友家は滅亡の危機にさらされていた。 従っていた諸将は島津に寝…

*ミントの人物伝その58−1[第396歩]

日新斎は孫の一人を評してこう言った。 「雄武英略を以て他に傑出する」と。 ミントの人物伝(その58−1) 島津義弘(しまずよしひろ、1535−1619) 九州を席巻した島津の猛将。 薩摩島津氏第17代当主。 1535年(天文4年)、薩摩にて島津家当主島津貴久の次…

*ミントの人物伝その57[第390歩]

アメリカにはかつて皇帝がいました。 ろくでもない大統領よりよほど親しみがもてる人物でした。 歴史教科書には載っていませんが。 ミントの人物伝(その57) ジョシュア・ノートン(1819−1880) アメリカの皇帝。 1819年、ロンドンでユダヤ人の家庭に生ま…

*ミントの人物伝その56[第384歩]

広島に行ってきました。 今回の人物は地元である広島でもあまり知られていないとのこと。 少しでも多くの人に知ってもらえればと思います。 ミントの人物伝(その56) 熊南峰(くまなんぼう、1876−1943) 秘境『三段峡』を世に知らしめた人物。 本名は熊勝…

*ミントの人物伝その55−2[第382歩]

金子は生涯に二つの大きな業績を残しました。 一つは明治憲法の起草 そしてもう一つは日露戦争の講和における働きです。 ミントの人物伝(その55−2) 明治日本は日清戦争(1894〜1895年)で勝利したあと 朝鮮半島を自国の保護下におこうとして、帝政ロシ…

*ミントの人物伝その55−1[第381歩]

明治時代の日本は栄光の時代だったと思います。 これはその栄光の時代を生き抜いた人物の話です。 ミントの人物伝(その55−1) 金子堅太郎(かねこけんたろう、1853−1942) 明治期の官僚、政治家。 1853年(嘉永6年) 筑前国早良郡鳥飼村(現在の福岡市中…

*ミントの人物伝その54−3[第372歩]

凌雲は新政府からの士官の誘いを断り続けました。 それには理由があったのです ミントの人物伝(その54−3) 1869年(明治2年)8月、凌雲は東京に移されたあと徳島藩の預りにされた。 だが罪人扱いされ、待遇は良くなかったようだ。 翌1870年(明治3年)2…

*ミントの人物伝その54−2[第371歩]

凌雲は日本で最初の赤十字活動を行った人物です。 ミントの人物伝(その54−2) 『神の館』で学ぶ凌雲であったが、幕府が倒れそうとなれば いつまでもパリに居続けるわけにはいかない。 帰国することになった。 1868年(慶応4年)5月、凌雲たちは横浜に到…

*ミントの人物伝その54−1[第370歩]

これは自分の信念を貫いた医師の話です。 ミントの人物伝(その54−1) 高松凌雲(たかまつりょううん、1836−1916) 同愛社創立者、医師 凌雲は1836年(天保7年)筑後国御原郡古飯村 (福岡県小郡市)の庄屋の家に生まれる。 幼名は権平、のちに荘三郎。 …

*ミントの人物伝その53−2[第368歩]

『忠勝』の名は彼を良く表現しています。 忠は忠義の忠、勝は勝利の勝、 そして『ただ勝つのみ』の意味があるのかもしれませんね。 ミントの人物伝(その53−2) 1584年(天正12年)小牧・長久手の戦いは、家康と羽柴秀吉との決戦だった。 長久手の戦いで…

*ミントの人物伝その53−1[第367歩]

大久保彦左衛門の名で知られる大久保忠教(ただたか)はこう言いました。 「戦場で一番乗りの功名を立てることは武士の願うところだが それがしは常に彼にはかなわなかった」と。 ミントの人物伝(その53−1) 本多忠勝(ほんだただかつ、1548−1610) 戦国…

*ミントの人物伝その52−2[第360歩]

彼はモンゴル史を語るのに欠かせない人物です。 ミントの人物伝(その52−2) チンギスの後継者を巡ってクリルタイ(部族会議)が紛糾する。 チンギスの息子たちはそれぞれ優れた面を持っていたが 長男のジュチと二男のチャガタイとは仲が悪かった。 三男…

*ミントの人物伝その52−1[第359歩]

これは百万人以上の命を救った人物の話です。 ミントの人物伝(その52−1) 耶律楚材(やりつそざい、1190−1244) モンゴル帝国の宰相 楚材の家は遼の王族出身であり、出自は契丹人である。 ただ楚材が生まれる前、1125年に遼は金に滅ぼされている。 父の…

*ミントの人物伝その51[第351歩]

車椅子の老人は墓に向かい合掌して言った。 「この年まであなたのことを忘れたことはありませんでした。 ようやくお礼を言えます」 老人の名はサムエル・フォール。 サーの称号を持つイギリス人だった。 ミントの人物伝(その51) 工藤俊作(くどうしゅん…

*ミントの人物伝その50[第345歩]

この人が第5代将軍になっていたら、あの悪法は世に出なかったでしょう。 ミントの人物伝(その50) 徳川家宣(とくがわいえのぶ、1662-1712) 江戸幕府第6代将軍。 1662年(寛文2年)に、甲府家、徳川綱重の長男として江戸で生まれる。幼名は虎松。 綱重は…

*ミントの人物伝その49[第342歩]

秋風のような爽やかさを感じさせる人物です。 ミントの人物伝(その49) 張良(ちょうりょう、?-B.C.186) 軍師。 蕭何(しょうか)、韓信(かんしん)とともに 『漢の三傑』と呼ばれる。 韓の宰相の家に生まれる。 韓が秦に滅ぼされ家族が殺されると、 …