人物伝
1590年(天正18年)、小田原征伐ののち、天下人となった豊臣秀吉の命で 家康が関東に移封される。 関東入府に際して、家康は忠次ら4人の「関東代官頭」を任命したが、 中でも一番家康に信頼されていたのが忠次だった。1591年(天正19年)、忠次は武蔵国小室…
今日と明日の二回、久しぶりの人物伝をアップしましょう。 放浪生活から大名へ。 そんな人生を歩んだ人物の話です。 ミントの人物伝(その80−1) 伊奈忠次(いな ただつぐ、1550−1610) 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、 武蔵小室藩初代藩主。 …
マルコーニは豪華ヨット「エレットラ号」を購入して、実験装置を備え付け イギリスとイタリアを往復しながら研究実験を行ったといいます。 名声を得た彼でしたが、周囲の雑音から逃れたかったのかもしれません。 ミントの人物伝(その79−3) タイタニック…
「だめか…。いやそんなはずはない。きっと聞こえる」 青年は待ち続けました。 ミントの人物伝(その79−2) 1899年秋、マルコーニは初めてアメリカに渡航する。 すでに彼はイギリスで『無線電信信号会社』(のちのマルコーニ社)を設立しており 研究もいよ…
青年はある日、一冊の本を手に取りました。 それが始まりでした。 ミントの人物伝(その79−1) グリエルモ・マルコーニ(1874−1937) イタリア人。無線通信の先駆者。実業家。 銅線の中を電流が流れると変化が起こり 電気と磁気のエネルギーが交互に波の…
ロマンに満ちた人生を送った北海道の命名者です。 ミントの人物伝(その78) 松浦武四郎(まつうら たけしろう、1818−1888) 幕末から明治にかけての探検家、 好古家、浮世絵師、登山家。 1818年(文化15年)、伊勢国(三重県)一志郡須川村にて 郷士・松…
「どこが欲しい?申してみよ」 秀吉は尋ねました。 すると男の答えは意外なものでした。 ミントの人物伝(その77) 亀井茲矩(かめいこれのり、1557−1612) 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。 因幡鹿野藩初代藩主。 尼子の家臣湯永綱(…
おことわりしておきますが 今回の内容は書いたミント自身もよく分かりませ−ん。 ミントの人物伝(その76) エドモンド・ハレ―(1656-1742)。 イギリスの天文学者、地球物理学者、数学者。 ハレーはロンドンの裕福な醸造業者の子供として生まれた。 幼いこ…
はじめてのことですが、書き終わっての感想です。 くどいかな? 菊池武光像(大刀洗公園) 今回の人物伝の舞台になった九州筑後地方は、私(ミント)にとってもなじみの場所です。 生まれは三井郡北野町(現久留米市北野町)ですし、今でも久留米市や小郡市…
栄光の時代もいつかは終局を迎えます。 いよいよ最終回です。 九州を平定した懐良親王だが、中央への進出を考えなかったわけではない。1368年(正平23年)2月、東征の軍をおこして長門・周防方面へ進軍を開始した。 だが大内氏により下関付近で進軍を阻まれ…
人馬の声が天地を揺るがします。 中世九州における最大の激戦です。 1359年(正平14年)7月、 懐良親王を擁した南朝軍が、大宰府へ攻め寄せるという情報を得た少弐頼尚は 敵を迎撃しようと筑後に出陣した。懐良親王、菊池武光、赤星武貫、宇都宮貞久、草野永…
今回は少しややこしいです。 読み飛ばしてもかまいません。 1350年(正平5年)、観応の擾乱と呼ばれる足利幕府の内紛で 足利尊氏(あしかがたかうじ)とその弟足利直義(あしかがただよし)とが争う事態となる。以下、状況を箇条書きすると・直義の養子であ…
男たちは九州統一を夢見ました。そして戦いました。 九州における南北朝動乱の話です。 ミントの人物伝(その75−1) 菊池武光(きくちたけみつ、1319-1373) 南北朝時代の武将。 14世紀の日本は朝廷が南朝と北朝とに分かれた特異な時代だった。 1336年(…
兄が天下人となり この人の運命も大きく変わりました。 1583年(天正11年)、秀長は賤ヶ岳の戦いに参戦する。 戦後、秀長は美濃守となり、播磨・但馬の2ヶ国を領して 姫路城を居城にした。 1584年(天正12年)には、徳川家康との間で小牧・長久手の戦いが起…
この人があと15年、いや10年長生きしていたら 歴史は変わったかもです。 ミントの人物伝(その74−1) 豊臣秀長(1540-1591) 豊臣秀吉の異父弟、大和大納言 1540年(天文9年)、尾張国愛知郡中村に生まれる。 幼名は小竹。長じて小一郎。 彼が幼少時に、…
端正な風貌からゴルフの貴公子と呼ばれました。 ミントの人物伝(その73) セベ・バレステロス(1957-2011) プロゴルファー。 スペインの酪農家の家庭に、男ばかり4人兄弟の末っ子として生まれる。 決して裕福ではなかったが、キャディのアルバイトをして…
イギリスの歴史において大王と称される君主です。 ミントの人物伝(その72) アルフレッド大王(Alfred the Great、849- 899) ウェセックス王。 9世紀当時のイギリス。 アングロサクソン人が建てたウェセックス王国は 東部のデーン人(ヴァイキング)から…
この人は言いました。 『卓球はチェスをしながら100m走をするようなものだ』と。 ミントの人物伝(その71) 荻村伊智朗(おぎむらいちろう、1932-1994) 卓球選手。ー以下敬称略ー 静岡県出身。 進学校の都立西高校に入学すると、すぐに卓球に夢中になった…
北軍の反撃が始まります。 近代的総力戦と呼ぶべき徹底的なもので そのため南部は焦土と化しました。 ミントの人物伝(その70−3) 1863年7月のゲティスバーグの戦いで北軍が勝利する。南北戦争を通じて最大の戦闘であり 3日間での死傷者は、両軍合わせて5…
いよいよアメリカ史上最大の内戦が始まります。 ミントの人物伝(その70−2) 南北戦争当時の勢力図 (青:北部、赤:南部) 1861年4月12日に南軍が連邦のサムター要塞を砲撃して 南北戦争(American Civil War)の戦端が開かれた。バージニア州軍の司令官…
この人のお兄さん、スミスはアメリカ海軍軍人で、 ペリー提督の「黒船」に乗って来日したそうですから 日本にも関連があるんですね。 ミントの人物伝(その70−1) ロバート・エドワード・リー(1807-1870) アメリカの軍人、教育者。 1807年にバージニア…
嫁ごよ、あっぱれ、と昌幸は言いました。 ミントの人物伝(その69) 小松姫(こまつひめ、1573-1620) 真田信之(信幸)の正室。 戦国時代、上田合戦というものがあった。 これは、信濃国の上田城(長野県上田市)と、その周辺で行われた 真田氏と徳川氏と…
ブータンでは一番有名な日本人です。 ミントの人物伝(その68−2) ー文章中の敬称は略させていただきますー シェムガン県は、貧しいブータンのなかでも極貧地域で 中央からは忘れられた土地と言われていた。 険しい山岳地帯であり、水利がなく乾燥してい…
ダショーと呼ばれ尊敬された人物がいました。 ミントの人物伝(その68−1) ー文章中の敬称は略させていただきますー 西岡京治(にしおかけいじ、1933〜 1992)。 農業指導者、植物学者。 1933年(昭和8年)、日本統治時代の京城(現・ソウル)で生まれる…
フクロウの神様は歌います。 『銀のしずく降る降るまわりに 金のしずく降る降るまわりに』ミントの人物伝(その67) 知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903〜1922)。 北海道登別市出身のアイヌ人女性。 明治時代以前、アイヌ民族は農業・狩猟・漁業で自然と共存し…
周瑜は音楽にも造詣が深かったといいます。マルチ人間ですね。 ミントの人物伝(その66−2) 「今度は八十万の軍勢を整えて将軍とお会いし 呉の地で狩猟をしたい思う」孫権陣営では、曹操が孫権にあてたこの手紙の内容を聞かされて 顔色を変えぬ群臣はいな…
三国志時代の知勇兼備の名将です。 ミントの人物伝(その65−1) 周瑜(しゅうゆ、175〜210)。 呉の軍師、大都督。 廬江郡舒県(安徽省廬江県)出身。字は公瑾(こうきん)。 ときは後漢末期の中国。帝は霊帝。 184年(中平元年)、黄巾の乱が起こる。 世…
大河ドラマも終盤になり、官兵衛の性格が急に変わりましたね。 ところでこの人は、悪人か善人か評価が分かれる人物です。 ミントの人物伝(その65) ロナルド・ビッグス(1929〜2013)。 英国の大工、列車強盗。 ロナルドはイギリスのロンドン郊外ランベス…
人物伝の索引を作ってみました。ミニ評伝です。その1. 稲尾和久 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20110309 その2. 竹鶴政孝 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20110317 その3. 二宮忠八 http://d.hatena.ne.jp/mint0606/20110319 その4. 山岡鉄舟 http://d.ha…
久しぶりに書いてみました。 大河ドラマでは触れていないエピソードです。 官兵衛の性格がしのばれます。 ミントの人物伝(その64) 黒田一成(くろだかずしげ、1571〜1656)。 黒田家の家臣。武将。 伊丹村(兵庫県)に加藤重徳の次男として生まれる。 幼…